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横浜地方裁判所横須賀支部 昭和60年(ワ)60号 判決

《目次》

主文

事実

第一 当事者の求めた裁判

一 本訴請求の趣旨

二 本訴請求の趣旨に対する答弁

三 反訴請求の趣旨

1 主位的請求

2 予備的請求

(一) 主位的

(二) 予備的

四 反訴請求の趣旨に対する答弁

第二 当事者の主張

一 本訴関係

1 請求原因

(一) 原告(反訴被告)らの本件各土地の所有関係

(1) 原告君島フミ及び同君島治行関係

(2) 原告石黒邦夫関係

(3) 原告塚越マス関係

(4) 原告富野良雄関係

(5) 原告富野春生及び同井上すゞ子関係

(6) 原告林伊男関係

(二) 本件各土地の位置関係及び被告による本件各土地の占拠の経緯

(三) 本件各土地の月額賃料相当額

結論

2 本訴請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)について

(二) 同(二)について

(三) 同(三)について

3 抗弁

(一) 原告らの前者の所有権喪失――売買による被告の本件各土地の取得

(1) 被告(海軍省)による池子弾薬庫用地の取得

イ 池子弾薬庫についての概況説明

ロ 被告の売買による本件各土地の取得

ハ 買収手続の原則

ニ 昭和一三年以降同二〇年までになされた横須賀海軍建築部における用地買収の手続

ホ いわゆる旧軍未登記財産の処理

ヘ 一括買入が行われた一団の土地の買入時期に基づく区分け

(2) 原告らの主張に対する反論

イ 売渡書の不存在、買収の一括性の不当性の反論に対して

ロ 所有権移転登記手続の遅延などの反論に対して

ハ 賃借地の存在の反論に対して

(3) 本件一ないし三の各土地についての海軍省の取得

イ 被告の売買による取得

ロ 右事実を裏付ける間接事実等

ハ 原告らの主張に対する反論

(4) 本件四の土地についての海軍省の取得

イ 被告の売買による取得

ロ 右事実を裏付ける間接事実等

(5) 本件五の土地についての海軍省の取得

イ 被告の売買による取得

ロ 右事実を裏付ける間接事実等

(6) 本件六ないし同八の各土地についての海軍省の取得

イ 被告の売買による取得

ロ 右事実を裏付ける間接事実等

ハ 原告らの主張に対する反論

(7) まとめ

(二) 原告らの前者の所有権喪失――取得時効による被告の本件各土地の取得

(1) 戦前の占有取得を基算点とする取得時効

イ 被告の本件各土地に対する占有の開始

ロ 短期取得時効

ハ 長期取得時効

(2) 昭和二七年七月六日の占有取得を基算点とする取得時効

イ 被告の本件各土地に対する占有の開始

ロ 短期取得時効

ハ 長期取得時効

4 抗弁に対する認否と反論

(一) 抗弁(一)(売買の抗弁)に対する認否、反論

(1) 同(1)について

イ 同イの各事実について

ロ 同ロの各事実について

ハ 同ハの各事実について

ニ 同ニの事実について

ホ 同ホについて

ヘ 同ヘについて

(2) 原告らの主張

イ 売買の成立について

ロ 一括買収の点について

ハ 買収漏れの土地の存在

ⅰ 終戦後の買入と多額の「見舞金」処理

ⅱ 賃借地

(3) 同(3)(本件一ないし三の各土地についての海軍省の取得)に対する認否と反論

イ 同イの事実について

ロ 同ロ(イの事実を裏付ける間接事実等)に対する認否反論

ⅰ 認否

ⅱ 反論

(4) 同(4)(本件四の土地についての海軍省の取得)に対する認否と反論

イ 同イの事実について

ロ 同ロ(イの事実を裏付ける間接事実等)に対する認否反論

ⅰ 認否

ⅱ 反論

(5) 同(5)(本件五の土地についての海軍省の取得)に対する認否と反論

イ 同イの事実について

ロ 同ロ(イの事実を裏付ける間接事実等)に対する認否反論

ⅰ 認否

ⅱ 反論

(6) 同(6)(本件六ないし八の各土地についての海軍省の取得)に対する認否と反論

イ 同イの事実について

ロ 同ロ(イの事実を裏付ける間接事実等)に対する認否反論

ⅰ 認否

ⅱ 反論①買入交渉に対する反論

ⅲ 反論②承諾について

(7) まとめ

(二) 時効の抗弁に対する認否と反論

(1) 3(二)(1)について

(2) 3(二)(2)について

5 再抗弁

(一) 所有の意思の不存在

(二) 強暴による占有の取得

(三) 権利の濫用ないし信義則違反

(四) 占有の喪失(占領による時効中断)(抗弁(二)(1)に対して)

(五) 時効完成後の第三者(本件二及び三の各土地について)

6 再抗弁に対する認否と反論

7 再々抗弁(再抗弁(五)について)

8 再々抗弁に対する反論

二 反訴関係

1 請求原因

(一) 原告ら名義の登記の存在

(二) 被告の所有権取得原因

(1) 売買

(2) 時効取得

2 請求原因に対する認否と反論

3 抗弁

4 抗弁に対する認否と反論

5 再抗弁

6 再抗弁に対する認否と反論

第三 証拠関係〈省略〉

理由

第一本訴請求について

一本件各土地の元所有者

二本件各土地の位置

三被告の売買の抗弁についての検討

1 池子弾薬庫の概況及び本件各土地の位置関係(争いない事実)

2 用地買収の手続及びそのいきさつ等について

(一)(1)工事施工の開始

(2)横須賀海軍建築部による池子弾薬庫用地の取得

イ 手続の開始

ロ 用地買収手続

(二) 海軍省による土地取得の経過

(三) 買収地域の囲い込み

3 本件各土地について

(一) 本件一ないし三の各土地について

(1) 本件一ないし三の各土地の周辺土地との位置関係等

(2) 結論

(3) 原告らの主張に対する検討

(二) 本件四の土地について

(1) 土地台帳について

(2) 周辺の土地との位置関係

(3) 結論

(三) 本件五の土地について

(1) 本件五の土地に接する道路

(2) 本件五の土地の閉鎖登記簿

(3) 本件五の土地の位置関係及び周辺地の買収

(4) 本件五の土地の隣地等の買収経過

(5) 本件五の土地の隣地等の買収の理由

(6) 結論

(四) 本件六ないし八の各土地について

(1) 本件六ないし八の各土地の共有者と一部の者の売買

(2) 本件六ないし八の各土地の他の共有者の売買

(3) 本件六ないし八の各土地の周辺土地等の買収経過

(4) 結論

4 原告らの反論についての判断

(一) 旧地主から被告への池子弾薬庫用地の売買の成立について

(二) 所有権移転登記手続の不存在(遅延)の反論について

(三) 賃貸借の存在及び見舞金処理のされた土地の存在の反論について

(1) 賃借地について

(2) 見舞金処理のされた土地について

(四) 承諾に関する反論について

(五) 結論

5 小括

四原告らの本訴請求についての結論

第二反訴請求について

第三総括

原告(反訴被告)

君島フミ

亡君島精一承継人

君島治行

石黒邦夫

塚越マス

富野良雄

富野春生

井上すゞ子

林伊男

右原告(反訴被告)ら訴訟代理人弁護士

矢島惣平

加藤満生

池田純一

猪狩庸祐

長瀬幸雄

牧浦義孝

森田明

前田留里

被告(反訴原告)

右代表者法務大臣

田原隆

右被告兼反訴原告指定代理人

芝田俊文

外一〇名

右反訴原告指定代理人

津久井宏

主文

一  原告(反訴被告)らの本訴請求をいずれも棄却する。

二  反訴請求の主位的請求に基づき、

1  原告(反訴被告)君島フミは、別紙第一目録記載の番号①の「物件」欄記載の土地について昭和一八年一二月一四日売買を原因として、原告(反訴被告)君島治行は、同目録記載の番号②及び③の各「物件」欄記載の土地についていずれも真正な登記名義の回復を原因として、原告(反訴被告)石黒邦夫は、同目録記載の番号④の「物件」欄記載の土地について昭和一五年四月一五日売買を、同目録記載の番号⑤の「物件」欄記載の土地について昭和一三年四月九日売買を原因として、それぞれ、被告(反訴原告)に対し、所有権移転登記手続をせよ。

2  原告(反訴被告)塚越マス、同富野良雄、同富雄春生、同井上すゞ子及び同林伊男は、被告(反訴原告)に対し、別紙第二目録記載の番号⑥ないし⑧の各「物件」欄記載の土地について、それぞれ、同目録原告(反訴被告)欄に対応する同目録「持分」欄記載の各共有持分割合に応じ、昭和一七年四月一日売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

三  訴訟費用は、本訴、反訴とも、原告(反訴被告)らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  本訴請求の趣旨

1(一)  別紙第一目録「原告(反訴被告)」欄記載の原告(反訴被告)が、それぞれ同欄に対応する同目録「物件」欄記載の各土地について所有権を、

(二)  別紙第二目録「原告(反訴被告)」欄記載の原告(原告(反訴被告)が、それぞれ同欄に対応する同目録「物件」欄記載の各土地について、同目録「持分」欄記載の共有割合による持分権を、

それぞれ有することを確認する。

2  被告は、別紙第一及び第二目録の「原告(反訴被告)」欄各記載の原告に対し、同欄に対応する右各目録の「物件」欄記載の各土地をそれぞれ明け渡せ。

3  被告は、別紙第一及び第二目録の「原告(反訴被告)」欄各記載の原告に対し、昭和六〇年四月一七日から2記載の各土地の各明渡済みまで、一か月につき、同欄に対応する右各目録の「損害金」欄各記載の割合による金員をそれぞれ支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  2項及び3項につき仮執行宣言

二  本訴請求の趣旨に対する答弁

1  主文一項及び三項(右請求に関する部分)同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

三  反訴請求の趣旨

1  主位的請求

主文二項1、2及び三項(右請求に関する部分)同旨

2  予備的請求

(一) 主位的

(1) 原告(反訴被告)君島フミは、別紙第一目録記載の番号①の「物件」欄記載の土地について、昭和一八年一二月一四日取得時効を原因として、原告(反訴被告)君島治行は、同目録記載の番号②及び③の各「物件」欄記載の土地について、同日取得時効を原因として、原告(反訴被告)石黒邦夫は、同目録記載の番号④の「物件」欄記載の土地について昭和一五年四月一五日取得時効を、同目録記載の番号⑤の「物件」欄記載の土地について昭和一三年四月九日取得時効を原因として、それぞれ、被告(反訴原告)に対し、所有権移転登記手続をせよ。

(2) 原告(反訴被告)塚越マス、同富野良雄、同富野春生、同井上すゞ子及び同林伊男は、被告(反訴原告)に対し、別紙第二目録記載の番号⑥ないし⑧の各「物件」欄記載の土地について、それぞれ、同目録原告(反訴被告)欄に対応する同目録「持分」欄記載の各共有持分割合に応じ、昭和一七年四月一日取得時効を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

(二) 予備的

(1) 原告(反訴被告)君島フミは、別紙第一目録記載の番号①の「物件」欄記載の土地について、原告(反訴被告)君島治行は、同目録記載の番号②及び③の各「物件」欄記載の土地について、原告(反訴被告)石黒邦夫は、同目録記載の番号④及び⑤の「物件」欄記載の各土地について、それぞれ、被告(反訴原告)に対し、昭和二七年七月二六日取得時効を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

(2) 原告(反訴被告)塚越マス、同富野良雄、同富野春生、同井上すゞ子及び同林伊男は、被告(反訴原告)に対し、別紙第二目録記載の番号⑥ないし⑧の各「物件」欄記載の土地について、それぞれ、同目録原告(反訴被告)欄に対応する同目録「持分」欄記載の各共有持分割合に応じ、昭和二七年七月二六日取得時効を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

(三) 右(一)、(二)いずれについても、主文四項(右請求に関する部分)同旨

四  反訴請求の趣旨に対する答弁

1  被告(反訴原告)の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は被告(反訴原告)の負担とする。

第二  当事者の主張

一  本訴関係

1  請求原因

(一) 原告(反訴被告)らの本件各土地の所有関係

(1) 原告(反訴被告。以下、単に「原告」という。)君島フミ(以下「原告フミ」という。)及び原告君島治行(以下「原告治行」という。)関係

イ 君島勇治(以下「勇治」という。)は、別紙第一目録の「物件」欄の①ないし③記載の各土地(以下、別紙第一及び第二目録の各「物件」欄に記載の①ないし⑧の土地を、「本件一の土地」等といい、本件一ないし八の土地を総称して「本件各土地」という。)を所有していた。

ロ 勇治は昭和一九年二月二七日死亡し、君島米雄(以下「米雄」という。)が勇治を家督相続した。

ハ 米雄は昭和五八年一一月三日死亡した。

ニ 原告フミは米雄の相続人である。

ホ 原告フミは、昭和六〇年二月一日、承継前の原告君島精一(以下「精一」という。)に対し、本件二及び三の各土地を贈与した。

ヘ 精一は平成元年一〇月四日死亡した。

ト 原告治行は精一の相続人である。

チ したがって、現在、本件一の土地は原告フミの、本件二及び三の各土地はいずれも原告治行の各所有に属する。

(2) 原告石黒邦夫(以下「原告石黒」という。)関係

イ 石黒一郎(以下「一郎」という。)は、本件四及び五の各土地を所有していた。

ロ 一郎は昭和四八年一〇月七日死亡した。

ハ 原告石黒は米雄の相続人である。

ニ したがって、現在、本件四及び五の各土地はいずれも原告石黒の所有に属する。

(3) 原告塚越マス(以下「原告塚越」という。)関係

イ 塚越七郎(以下「七郎」という。)は、本件六の土地について一九分の一の割合、本件七及び八の各土地についていずれも一四分の一の割合で、右各土地の共有持分権を有していた。

ロ 七郎は昭和五〇年五月四日死亡した。

ハ 原告塚越は米雄の妻である(なお、米雄と原告塚越との間には子がある。)。

ニ したがって、現在、原告塚越は、本件六の土地について五七分の一の割合、本件七及び八の各土地についていずれも四二分の一の割合で、右各土地の共有持分権を有する。

(4) 原告富野良雄(以下「原告良雄」という。)関係

イ 富野辰藏(以下「辰藏」という。)は、本件六の土地について一九分の一の割合、本件七及び八の各土地についていずれも一四分の一の割合で、右各土地の共有持分権を有していた。

ロ 辰藏は昭和二五年一二月三〇日死亡した。

ハ 原告良雄は辰藏の子である(なお、辰藏には死亡当時妻があった。)。

ニ したがって、現在、原告良雄は、本件六の土地について五七分の二の割合、本件七及び八の各土地についていずれも二一分の一の割合で、右各土地の共有持分権を有する。

(5) 原告富野春生(以下「原告春生」という。)及び同井上すゞ子(以下「原告井上」という。)関係

イ 富野熊藏(以下「熊藏」という。)は、本件六の土地について一九分の一の割合、本件七及び八の各土地についていずれも一四分の一の割合で、右各土地の共有持分権を有していた。

ロ 熊藏は昭和四四年六月二〇日死亡した。

ハ 熊藏の妻富野フサ(以下「フサ」という。)は昭和五〇年五月二五日死亡した。

ニ 原告春生及び原告井上はいずれも熊藏の子である(なお、熊藏の死亡当時熊藏とフサには五名の子があり、その外に既に死亡した子が二名あったが、右二名には子がなかった。)。

ホ したがって、現在、原告春生及び原告井上は、いずれも、本件六の土地について九五分の二の割合、本件七及び八の各土地についてそれぞれ七〇分の一の割合で、右各土地の共有持分権を有する。

(6) 原告林伊男(以下「原告林」という。)関係

イ 林政吉(以下「政吉」という。)は、本件六の土地について一九分の一の割合、本件七及び八の各土地についていずれも一四分の一の割合で、右各土地の共有持分権を有していた。

ロ 政吉は昭和一八年二月一三日死亡し、原告林が政吉を家督相続した。

ハ したがって、現在、原告林は、本件六の土地について一九分の二の割合、本件七及び八の各土地についていずれも一四分の一の割合で、右各土地の共有持分権を有する。

(二) 本件各土地の位置関係等及び被告による本件各土地の占拠の経緯

(1) 本件各土地は、別紙図面一記載の黒線で囲まれた地域(以下「本件地域」という。)の中にあるが、右地域は、戦前に旧海軍が弾薬庫(以下「池子弾薬庫」という。)として使用していた、いわゆる「池子弾薬庫跡地」の中にある。

(2) 本件地域の特性

イ 本件地域は、現在、「池子の森」と称され、首都圏南部の三浦丘陵地帯の一角に神奈川県逗子市及び横浜市に跨がって位置する常緑広葉樹を中心とした森林地帯であり、総面積はおよそ二九〇万平方メートル、うち逗子市部分は約二五一万平方メートルで、同市全面積の約一四パーセントを占める。

ロ 本件地域は、第二次大戦中は旧帝国海軍が軍事用地として、戦後は在日米軍が弾薬貯蔵施設用地としてそれぞれ使用してきたものであるが、右の期間を通じてほとんど無人状態が継続されたために、貴重な自然状態が形成され、また種々の動植物が棲息して一つの生態系を形成している。また、本件地域内にはシロウリガイの化石群や中世墳墓等の埋蔵文化財が残されており、本件地域は、生態学、考古学など諸学術上極めて貴重な研究対象であり、また深刻な環境破壊にさらされている首都圏にあって唯一残されたともいえる豊かな自然環境を形成するかけがえのない存在である。

(3) 被告の不法占拠

被告(反訴原告。以下、単に「被告」という。)の機関であった海軍省(以下、同省等の省庁が中心となった被告の行為・契約等につき、海軍省等ということがある。)は、昭和一三年ころから同二〇年ころまでの間、なんらの法的手続をとることなく、本件各土地をふくむ本件地域に、帝国海軍軍需部池子倉庫を設置して本件地域の占有を開始した。その後本件地域は戦後一時連合国軍の占領の下におかれたが、日米間の平和条約発効後は在日アメリカ合衆国軍隊に弾薬貯蔵施設用地として使用させるためこれを提供した。

(4) 現状

現在、本件地域は、一部が返還され、その余の地域は昭和五二年に弾薬庫としての使用が停止されて以降遊休状態であるが、被告は本件地域の周囲に鉄柵を設置して原告らの同地域への立ち入りを妨害するとともに、原告らの本件各土地に対する前記所有権を争う。

また、被告は、原告らの本件各土地に対する所有権を無視し、本件各土地を含む本件地域を広範囲にわたって造成し、在日アメリカ合衆国軍隊のための住宅を建設する計画を公表し、その工事を強行しようとしている。

(三) 本件各土地の月額賃料相当額(別紙第二目録にあっては、各原告の持分割合による割合)は、それぞれ別紙各目録の「損害金」欄記載の額を下らない。

よって、原告らは、本訴請求の趣旨記載のとおり、別紙第一及び第二目録の各「原告(反訴被告)」欄記載の各原告(反訴被告)がそれぞれ同欄に対応する同目録「物件」欄記載の各土地について所有権ないし共有持分権をそれぞれ有することの確認を求めるとともに、被告に対し、右各土地の所有権ないし共有持分権に基づき、右各目録の「物件」欄記載の各土地の各明渡しを求め、あわせて、不法行為に基づき、本件訴状送達の翌日である昭和六〇年四月一七日から右各土地の各明渡済みまで、同目録の記載の賃料相当の損害金の支払を求める。

2  本訴請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)について

(1) 同(1)の各事実中、イの事実は、昭和八年から同一三年ころにかけて勇治が本件一ないし三の各土地を所有していたとの限度で認め、その余は否認ないし争い、同ロ、ハ、ニ、ヘ及びトの各事実は認め、同ホの事実は知らない、同チの主張は争う。

(2) 同(2)の各事実中、イの事実は、大正一三年から昭和一三年ないしその後ころにかけて一郎が本件四及び五の各土地を所有していたとの限度で認め、その余は否認ないし争い、同ロ及びハの各事実は認め、同ニの主張は争う。

(3) 同(3)の各事実中、イの事実は、昭和五年から昭和一七年ころにかけて七郎が本件六ないし八の各土地を原告ら主張の持分割合で共有していたとの限度で認め、その余は否認ないし争い、同ロ及びハの各事実は認め、同ニの主張は争う。

(4) 同(4)の各事実中、イの事実は、明治四五年から昭和一三ないし一七年ころにかけて辰藏が本件六ないし八の各土地を原告ら主張の持分割合で共有していたとの限度で認め、その余は否認ないし争い、同ロ及びハの各事実は認め、同ニの主張は争う。

(5) 同(5)の各事実中、イの事実は、大正一一年から昭和一三年ないしその後ころにかけて熊藏が本件六ないし八の各土地を原告ら主張の持分割合で共有していたとの限度で認め、その余は否認ないし争い、同ロないしニの各事実は認め、同ホの主張は争う(原告春生及び原告井上の相続分については認める。)

(6) 同(6)の各事実中、イの事実は、明治四三年から昭和一三年ないし一七年ころにかけて政吉が本件六ないし八の各土地を原告ら主張の持分で共有していたとの限度で認め、その余は否認ないし争い、同ロの事実は認め、同ハの主張は争う。

(二) 同(二)の事実について

(1) 同(1)の事実は認める

(2) 同(2)の事実について

イ 同イの事実は認める

ロ 同ロの事実中、本件地域が、第二次大戦中は旧帝国海軍が軍事用地として、戦後は在日米軍が弾薬貯蔵施設用地としてそれぞれ使用してきたこと、本件地域に自然林や中世墳墓が存在することは認め、その余は知らない。

(3) 同(3)の事実中、被告が、昭和一三年ころから同二〇年ころまでの間、本件各土地を含む本件地域に、帝国海軍軍需部池子倉庫を設置して本件地域の占有を開始し、その後本件地域が戦後一連合国軍の占領の下におかれ、日米間の平和条約発効後は在日アメリカ合衆国軍隊に弾薬貯蔵施設用地として使用させるためこれを提供したことは認める(被告がこれらにつきなんらの法的手続をとらなかったことは否認する。)。

(4) 同(4)の事実中、現在、被告が原告らの本件地域への立ち入りを認めていないこと、原告らの本件各土地に対する前記所有権を争うこと、本件地域を造成し、在日アメリカ合衆国軍隊のための住宅を建設する計画を公表していることは認め、本件地域が事実上遊休状態であり、被告が本件地域の周囲に鉄柵を設置していることは明らかに争わず、その余は否認する。

(三) 同(三)の事実は知らない。

3  抗弁

(一) 原告らの前者の所有権喪失――売買による被告の本件各土地の取得

(1) 被告(海軍省)による池子弾薬庫用地の取得

イ 池子弾薬庫についての概況説明

被告(海軍省。以下、省庁が行った行為は被告の機関としての行為である。)は、海軍用地に池子弾薬庫を設置し、池子弾薬庫用地として占有使用管理してきた。右用地は、昭和二〇年の太平洋戦争終結により、連合国を構成するアメリカ合衆国軍隊に接収され、昭和二七年四月二八日に日本国とアメリカ合衆国との間に締結された平和条約(昭和二七年条約第五号)が発効した後は、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(昭和二七年条約第六号)第三条に基づく行政協定」二条一項に基づき、その後昭和三五年以降は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三五年条約第六号)」六条及び「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(昭和三五年条約第七号)」二条に基づき、わが国が在日アメリカ合衆国軍隊(以下「在日米軍」という。)に右用地を提供している。

現在、池子弾薬庫は、「池子住宅地区及び海軍補助施設」と呼称される。右用地の総面積は約二九〇万平方メートルであり、神奈川県逗子市、横浜市に跨在する。その位置は、概略、別紙図面一記載の黒線で囲まれた土地部分(本件地域)である。

本件一ないし八の各土地は、いずれも本件地域ないし池子弾薬庫内に存在し、その位置は別紙図面一ないし四記載のとおりであり、右各図面記載の①から⑧として示した土地部分が本件一ないし八の各土地である。

ロ 被告(海軍省)の、売買(買収)による本件各土地の取得

海軍省は、同軍軍需部池子倉庫等の用地とするため、昭和一三年ころから本件地域に同倉庫の造営を始め、以後同一八年ころまでの間、池子弾薬庫の敷地の所有権を民有地買収などにより取得し、右所有権に基づき池子弾薬庫の占有、使用を開始した。海軍省は、その後次第にその規模を拡大し、本件各土地についても、原告らの前者らから、以下に述べる手続に従い、売買により所有権を取得した。

ハ 買収手続の原則

まず、国の財政管理に関しては、大正一一年に(旧)国有財産法(大正一〇年四月七日法律第四三号)、會計法(大正一〇年四月七日法律第四二号)、會計規則(大正一一年一月七日勅令第一号、)等が施行された。海軍省においてもこれに伴い海軍建築工務規則(大正一一年六月三日海軍省達第一一四号)、海軍省會計規定(大正一一年三月八日海軍省達第三六号)、海軍契約規程(大正一一年四月一日海軍省令第一一号)等が定められた。

海軍省建築局(大正一二年設置。後の海軍施設本部〈海軍施設本部令、昭和一六年八月一日勅令第七九八号〉)、海軍建築部(後の海軍施設部〈海軍施設部令、昭和一八年八月一八日勅令第六七三号〉)等において工事等を施行するにあたっては、まず、所管長官が海軍大臣(明治一八年一二月二二日太政官達第六九号、各省官制通則〈明治二六年一〇月三一日勅令第一二二号〉、海軍省官制〈大正五年三月二一日勅令第三七号〉及び海軍施設部処務規定〈昭和一八年八月一八日海軍省達第一九三号の二〉参照)に対し当該工事につき調査書等を作成して上申し(海軍建築工務規則七条)、海軍大臣が工事の施行を訓令する(同規則九条)。国有財産の買入についても同様の手続による(同規則三一条)。契約担当官は右の契約をする場合、原則として、契約の目的、履行期限、違約金、危険負担等の必要事項を詳細に記載した契約書を作成する(前記會計規則八五条)。

なお、土地買入の場合においては、海軍省に所有権移転登記がなされたことを確認のうえ代金を支払った。しかし、右登記手続の遅延に伴い、土地引渡後代金支払までに著しく日数を要することが社会問題となったため、昭和一六年に「土地買収代金ノ支拂促進ニ關スル件」(昭和一六年一月二八日経物第九二号経理局長建築局長通牒)が発され、これにより、代金支払促進のため、特別の取扱が認められた。

ニ 海軍省は、前記したように、池子弾薬庫用地を取得した。具体的には、海軍の施設として横須賀海軍建築部(昭和一八年改称後は同軍施設部。以下同じ。)において用地買収をした。昭和一三年以降同二〇年までの横須賀海軍建築部における用地買収の手続は以下のとおりであり、池子弾薬庫用地の買収も同様である。

ⅰ 横須賀海軍建築部において池子弾薬庫建築のための用地買収をするにあたっては、所管長官である横須賀鎮守府(鎮守府令〈大正一二年八月二三日軍令海第五号〉、鎮守府處務規定〈明治三四年五月一四日海軍省達第六〇号〉)司令長官から海軍大臣に対し用地買収を上申し(海軍建築工務規則七条)、海軍大臣は横須賀鎮守府司令長官に対して用地買収を訓令する(同規則九条)。同司令長官は横須賀海軍建築部長に対して右訓令を授達し、同建築部長は用地買収手続を開始する。

ⅱ 用地買収手続

用地買収の具体的手続は以下のとおりである。

① 買収対象区域を決定する。

② 右買収地区について、所轄税務署備付切絵図、(旧)土地台帳等を調査し、一筆毎の調書を作成する。

③ 調査された土地についての買収予定価格を算出するために、税務署、県、市町村、金融機関などから土地の評価額についての資料を収集する。

④ 右資料に基づく買収予定価格を決定する。

⑤ 買収交渉のために、買収地域の市区町村長に対し地主の参集(印鑑持参)方を依頼する。

⑥ 横須賀海軍建築部の契約担当官が、右参集場所において、各地主(またはその代表者)に対し、軍需施設用地としての必要性、その範囲、買収価格などを説明して買入交渉をし、買収について左記の事項につき承諾を求める。

a 売渡承諾の件(地目ごとの単価を決し、また地目は現状地目によること、面積は土地台帳面積によること、地上権、抵当権等の設定がなされている土地については各地主において抹消することの合意)

b 物件移転の件(移転補償料)

c 工事着手承諾の件(売渡証人のうえは正式引渡前において直ちに工事に着手して差し支えないこと。)

d その他の件

⑦ 右交渉の結果、地主の承諾が得られた場合には、各地主(連名またはその代表者)に買収諸条件を記載した承諾書または協定書を提出させ、市区町村長の立会の印を受ける。

海軍省と地主との間の売買契約は右承諾の時に成立する。

なお、右買収交渉によって地主との承諾が得られない場合には、承諾が得られるまで同様の買収交渉が何回も繰り返されたが、戦時体制という時局を反映して、あくまでも買収を拒否するという地主はいなかった。

⑧ 右により売買契約が成立した土地につき、各地主から土地売渡書(契約書に代用)及び海軍省に所有権移転(または保存)登記を経由するために必要な書類一切の提出を受ける(また、登記承諾書などにも実印の押捺を得る。)。

⑨ 登記嘱託官吏である横須賀海軍建築部長(海軍省所管不動産登記嘱託官吏指定、大正九年一〇月九日海軍省令第二一号、〈書証番号略〉)が登記嘱託をし、海軍省名義に登記手続をする。

ただし、抵当権等の権利設定のある場合には、その抹消をまって右登記手続をする。

⑩ 右登記済を確認のうえ、地主(売主)に対し土地売買代金を支払う。

ただし、この土地代金の支払時期については、前記のように、昭和一六年一月二八日の通牒により促進され、昭和一八年以降は、登記済前の支払も認められた。

海軍省は、池子弾薬庫を順次拡張するに際して、当該施設の建設に対応してその用地取得を進めた。海軍省は、一つの新規建設工事のため必要とする一団の土地を一括した用地買入を訓令した。そこで担当官は、右各土地の所有者(ないしその代表者)全員を一同に集めて買受けの必要性及び買受け単価を説明するなど一括して買受け交渉を行い、土地売渡書等の書類もなるべく一括して作成するという用地買入手続をした。海軍省は、買受け価格について、坪当たり単価を定め、一筆の土地全部を買い受けるときには台帳上の面積を、分筆して買い受けるときは実測面積を右単価に乗じて買い受け価格を定めた。池子弾薬庫は、昭和一三年ころ設置されて以来昭和一八年ころまで、順次拡張され、右拡張工事ごとにその用地を買い入れた。

ホ なお、右のように海軍省が取得した土地のうち一部土地については、戦争末期の混乱から、所有権移転登記手続事務が未了のまま終戦を迎えた。この所有権移転登記手続が未了の国有地に関する管理事務は、旧軍解体のため一括して大蔵省が引き継ぎ、大蔵省はいわゆる旧軍未登記財産として所要の管理事務をした。大蔵省は、膨大な数の右財産を昭和三二年八月三日付通達「未登記の旧軍用地等に対する措置について」(〈書証番号略〉)に基づき、本格的にその処理に着手し、最近ではかなりその処理を終えた。しかし、旧地主の中には、被告への所有権移転登記手続への協力要請を拒む者があり、本件各土地のように、今日なお所有権移転登記手続が未了の国有地が存在する。本件各土地もかかる土地の一部である。

へ 以上から明らかなように、本件各土地は、それぞれの周辺土地と共に一団として池子弾薬庫における各工事の対象となり、一括して買入を受けた。本件各土地がいかなる時期に池子弾薬庫新営工事の用地として必要とされ、いかなる範囲の土地とともに一団の土地として一括して用地買入手続がなされたかを明らかにするため、本件各土地の周辺土地の海軍省ないし大蔵省への所有権移転登記の登記原因とされている登記簿上の売買(買収)の年月日をもとに右一団の土地の範囲を区分けすると、その買入時期に基づき別紙図面二ないし四各記載のように区分けされる(一部の土地についての例外については、後記のとおり。)。

右各別紙図面作成の基礎となった各土地の登記簿の記載内容は、別紙別表1ないし3各記載のとおりである。

ただし、右各図面では、①海軍省あるいは大蔵省名義で所有権保存登記がなされている土地(神奈川県逗子市字笹ヶ谷一七一八番及び字仲川一六九七番の各土地。以下、同土地等現在神奈川県逗子市池子所在の土地を字名と地番のみで表示する。)、②登記原因が真正な登記名義回復となっている土地(笹ヶ谷一七〇七番、同一七〇八番、同一七二六番、同一七二七番及び同一七二九番の各土地)については周辺土地と同時期に買入がなされたものとして、③海軍省あるいは大蔵省への所有権移転登記は経由されていないが昭和一八年一二月一四日付けの横須賀海軍施設部長宛土地売渡書(〈書証番号略〉)が現存する土地(字笹ヶ谷一七二五番一の土地)については右売渡書の日付けころ買入がされたものとして、いずれも、その登記簿上の記載に拘泥することなく区分けした。

また、④大蔵省あるいは総理府への所有権移転登記がされその登記原因が昭和三〇年代末から同四〇年代初めにかけての売買(買収)となっている土地(字笹ヶ谷一六九九番一及び同一七〇〇番ロの各土地)について、被告は、後記のように、昭和三〇年ころ、政策的判断により、これらの各土地の各登記名義人との間で賃貸借契約の締結をしたが、右各図面では、これらの土地についても、周辺土地と同時期に買入がされたものとして区分けした。

また、⑤逗子町から大蔵省への真正な登記名義の回復を原因として所有権移転登記がされている土地(字八坂一一六五番三、同一一六六番三、同一一六八番三、同一一六九番三、同一一七六番二及び同一一九三番三の各土地)は、町道の敷地とするため、大正一五年、国の機関たる町道管理者逗子町長が寄付を受けたものであり、その所有権は右寄付により被告に帰属することとなったものであるから、これらの土地については池子弾薬庫設置以前に既に国有地であったものとして区分けした。

(2) 原告らの主張に対する反論

イ 売渡書の不存在及び一括買収の不当性の反論(後記4(一)(2)イ及びロ)に対して

原告らは、本件各土地について売渡書が全くないことは本件各土地の売買契約がなかったことを示すものであり、また、戦後の池子弾薬庫の建設拡張の具体的内容などが明らかでない以上、一括買収の前提が不明確であるし、一括して買収の申込がなされたとしても、承諾の有無は個別に判断されるべきである、と主張する。

しかし、前記3(一)(1)のとおり、被告は、昭和一三年から同一八年にかけ周辺土地とともに本件各土地の占有を開始し、戦前は海軍により各種の施設を設けて池子弾薬庫用地として使用し、終戦後は駐留軍、在日米軍に提供して現在に至る。このような占有事実と管理実態に対し、原告らが、被告に対し、所有権に基づく権利請求をすることは、米軍住宅建設問題が表面化した最近に至るまでなかった。かかる事実は、売買契約の締結の事実を推認させる間接事実として重視されるべきである。

なお、この点に関し、原告らは、逗子市市議会が「駐留軍接収地一部返還要請決議」を行っていることなどをもって、原告らが返還要求をしている旨主張するが、右決議は市独自の政策遂行の必要性からその返還要請を行っているにすぎず、逗子市らが原告ら私人を代理してかかる要求をしているものではない。そして、買収が一括して行われてきたことは前記3(一)(1)ニのとおりであって、この点の原告らの主張は理由がない。

ロ 所有権移転登記手続の遅延などの反論(後記4(一)(2)ハ)に対して

原告らは、被告が本件各土地の所有権移転登記手続をしていない事実をもって売買契約の不存在を推認することができる旨主張する。しかし、旧軍未登記財産はかつて膨大な件数として存在し、現在に至るも未登記の国有財産は数多く存在すること、被告がかかる財産について順次登記をすべく努力をしているが右事態は未だ解消されるには至っていないことは前記3(一)(1)ホで述べたとおりである。かかる状況では、被告が本件各土地について登記手続を遅延していることをもって売買契約の不存在を推認することはできない。

また、被告は、被告の施設の中に存在する旧軍未登記財産の処理については、旧地主との交渉の過程で、海軍省が買収してから既に相当年数を経ている未登記財産につき、名義書換料(見舞金)の支給なく「登記承諾書」に押印を求めることは心情的にできにくいため、相応の「見舞金」を支給することで旧地主の協力を得やすくし、名義書換のための被告の事務促進を図ろうとした。その場合、被告は、登記原因を「売買」に代えて「真正なる登記名義の回復」として処理した方が、「見舞金」の支給という行政上の配慮からみても好ましく、また、国の所有であるにもかかわらず登記簿上旧地主名義のままで、公簿上正しく反映されていないという点から、登記原因を「真正なる登記名義の回復」とすることにした。

ハ 賃借地の存在の反論(4(一)(2)ハⅱ)に対して

原告らは、賃借地の存在をもって被告の一括買収の事実に矛盾がある旨主張する。しかし、これらの土地の賃貸借契約も、前記「真正なる登記名義の回復」との登記原因で被告に所有権移転登記手続がなされている土地についてと同様、被告が問題を円満に解決するためより穏当な方法を選択したにすぎず、買入がなされていなかったことを認めた結果ではない。

(3) 本件一ないし三の各土地についての海軍省の取得

イ 被告は、本件一ないし三の各土地を、昭和一八年一二月一四日、いずれも勇治から、売買によって取得した。

ロ 本件一の土地(字笹ヶ谷一七〇五番の土地)周辺の土地である字仲川一六九六番、字笹ヶ谷一七〇〇番イ、同一七〇三番、同一七〇四番、同一七〇六番の土地(別紙図面二参照)については、いずれも昭和一八年一二月一四日に右各土地の所有者と海軍省との間で売買契約が成立した。

本件二(字笹ヶ谷一七一三番)及び同三(同一七一五番)の土地は、右の隣接地である。字笹ヶ谷一七一四番、同一七一六番、同一七一七番、同一七二二番、同一七二三番の土地(別紙図面二参照)は、その周辺の土地であるが、いずれも昭和一八年一二月一四日に右各地の所有者と海軍省との間で売買契約が成立している。加えて、右のうち地目が山林の土地の各売買代金は一坪当たり二円、地目が畑の土地のそれは同一二円、地目が宅地の土地のそれは同一九円五〇銭であった。

したがって、本件一ないし三の土地は、右に述べた各周辺土地と一団の土地であるから、前記3(一)(1)記載の海軍省の池子弾薬庫用地取得の経緯に照らし、右各周辺土地と一括して、同時期に海軍省が勇治から売買によって取得したものであり、売買契約の成立の時期や売買代金の単価は、その近接地である各周辺土地の売買契約の成立の時期や売買代金の単価と同一である。

ハ この点に関し、原告らは、本件一ないし三の各土地の周辺土地が同一時期に一括買収されたものではないと主張する(4(一)(2)ロ及び同(3)ロ)。

しかし、本件一ないし三の各土地が買収されたというべき昭和一八年一二月一四日には、字笹ヶ谷一七一一番、同一七一二番、同一七一〇番二、同一七二五番二、字仲川一六九三番二は既に買収済みである。また、右事実によれば昭和一八年以前から右各土地及びその近辺が池子弾薬庫用地として使用される予定であったものと推認される。そして、字笹ヶ谷一七三一番、同一七四〇番一、字うるし作一八七一番イ、同一八七四番、同一八七五番は、昭和一八年一二月一四日からわずか三か月余が経過したのみの、同一会計年度内である昭和一九年三月二九日に(同時に)買収されているのであって、一括買収を否定するものではない。むしろ、昭和一八年までに買収されていた前記土地を含め、本件各土地を含む周辺土地の大部分が昭和一八年一二月一四日に買収されている事実は、そのころ、右各土地を必要とする事態が具体化していたことを示すものである。

原告らは、長島竹次郎が所有していた笹ヶ谷一六九九番二の土地と同番一の土地の登記原因たる買収の年日の違いから、昭和一八年の買収には承諾がなかったと主張する。しかし、このように被告が戦後に買収したという事例はいくつかある。もっとも、その理由は、前記のとおり、買収を直接証明する資料が散逸したこと、問題の円満解決をはかるためにまず賃貸借契約を締結した後売買契約を締結する処理方法を採ったためにすぎない。

(4) 本件四の土地についての海軍省の取得

イ 被告は、本件四の土地を、昭和一五年四月一五日、一郎から、売買によって取得した。

ロ 本件四の土地(字舞台一〇六七番一)の土地台帳には、昭和一五年七月二日、一郎から海軍省に所有権移転登記がされている。また、本件四の土地周辺の土地である字舞台一〇六一番一、同一〇六二番、同一〇六五番六、同一〇六六番の土地(別紙図面三参照)については、いずれも昭和一五年四月一五日に右各地の前所有者と海軍省との間で売買契約が成立している。さらに、本件四の土地については昭和三〇年に至るまで所有権保存登記がされていない。

したがって、本件四の土地は、右に述べた各土地と一団の土地であり、前同様に、右各土地と一括して同時期に海軍省が一郎から売買によって取得したものである。それゆえに、右売買による所有権移転を公簿上明らかにするため土地台帳に前記記載がなされたものである。

(5) 本件五の土地についての海軍省の取得

イ 被告は、本件五の土地を、昭和一三年四月九日、一郎から、売買によって取得した。

ロⅰ 本件五の土地(字仲川一六四二番三)は、公図上、その東側にある道路に接して存在し、登記簿上の面積がわずか二九平方メートルの土地である。

ⅱ また、本件五の土地周辺の土地(別紙図面三参照)のうち、右道路の西側(右道路からみて本件五の土地の側)に位置する土地である字仲川一六四一番二、同一六四二番四の土地については、いずれも昭和一三年四月九日に、右道路東側に位置する土地である字仲川一一四九番一、右道路西側奥に位置する土地である字仲川一六四一番一、同一六四二番一、同番二の土地については、いずれも昭和一五年四月一五日に、それぞれ、右各地の前所有者と海軍省との間で売買契約が成立した。

このうち、字仲川一六四二番一、二及び四の各土地と本件五の土地は、一郎が右各土地を相続取得した大正一三年一二月六日当時、一筆の土地であった。昭和五年、同番一ないし三の土地に分筆され、昭和一四年、同番二の土地がさらに同番二と四の土地に分筆された。海軍省は、右各土地について、昭和一三年四月九日成立にかかる売買契約に基づく権利保全のため、昭和一四年二月二二日付けで代位登記した。また海軍省は、同番四の土地について、右分筆登記と同日付けで昭和一三年四月九日売買(「買入」)を原因とする一郎から海軍省への所有権移転登記を経由し、同番一及び二の各土地について、昭和一五年七月五日付けで同年四月一五日売買を原因とする一郎から海軍省への所有権移転登記を経由した。

また、右各分筆のうち、同番二の土地からの同番四の土地の分筆は、昭和一三年四月九日に一郎と海軍省との売買契約が成立したことによる。これと同様に、前記字仲川一六四一番一と同番二の土地の分筆も、右各土地の前所有者であった山下臓之助と海軍省との間に昭和一三年四月九日に売買契約が成立したことによる。

ⅲ 以上のことから、次の事実が認められる。すなわち、海軍省は、まず、前記道路西側に道路に沿って存在する土地を必要とし、右必要な部分を取得するため、同部分を含む字仲川一六四一番一と同一六四二番二の土地について、必要な部分とそれ以外に分筆し、昭和一三年四月九日、道路側の同一六四一番一と同一六四二番四の土地を前所有者から買い受けた(右買受けを以下「第一次買受け」という。)。海軍省は、その後付近の土地全部を必要として、残余の土地について昭和一五年四月一五日に前所有者から買い受けた(右買い受けを以下「第二次買受け」という。)。第一次買受けの対象となった土地と第二次買受けの対象となった土地とを区分する分割線(字仲川一六四一番一と同番二の地の境界線及び同一六四二番二と同番四の境界線)は、前記道路の幅の約二倍の間隔を保って右道路と並行に走る線である。このことは、第一次買受けが右道路の拡幅のための用地取得であったことを窮わせる。

ⅳ ところで、本件五の土地は、東側を道路に、西側を字仲川一六四二番四の土地に(挟まれて)接する前記のような狭隘な土地(地目は畑)であるが(別紙図面四参照)、右第一次買受けが道路西側(本件五の土地の側)についてなされ、しかも右字仲川一六四二番四の土地が第一次買受けの対象となっていたことにかんがみれば、本件五の土地も当然右字仲川一六四二番四の土地と同時に第一次買受けの対象となっていたはずである。したがって、本件五の土地は、右字仲川一六四二番四の土地と同様(右各土地と一括して)、昭和一三年四月九日、一郎と海軍省との間に売買契約が成立し、海軍省がその所有権を取得したものである。

(6) 本件六ないし同八の各土地についての海軍省の取得

イ 被告は、本件六ないし同八の各土地を、昭和一七年四月一日ころ、いずれも別紙物件目録二の右各土地に対応する「前所有者」欄各記載の者(右各土地の当時の共有者)から、売買によって取得した。

ロⅰ 本件六ないし同八の各土地(字笹ヶ谷一七九一番、同一七八二番、同一七九〇番)の周辺の土地である字笹ヶ谷一七五〇番、同一七七一番一三及び一四、同一七八〇番、同一七八一番、同一七八三番、同一七八四番一ないし四、同一七八六番、同一七八七番、同一七八八番イ、同一七八九番、同一七九二番、同一七九三番、同一七九四番、同一七九五番の土地(別紙図面二参照)について、海軍省は、いずれも昭和一五年四月から同一六年八月にかけて、それぞれ右各土地の前所有者との間で売買契約を締結し、昭和一六年一月から同一七年八月にかけて、海軍省への所有権移転登記を経由した。

ⅱ 本件八の土地の共有持分のうち、三縄由蔵、石渡好文及び石黒保五郎の有していた持分(各持分一四分の一、合計一四分の三)について、海軍省は、昭和一七年四月一日、右各持分権者との間に売買契約を締結し、昭和四〇年、大蔵省への所有権移転登記を経由した。

一方、本件六ないし八の各土地は、従前いずれも一〇数名の共有であり、昭和一七年四月当時の右各共有者は数名を除き共通であったが、本件六ないし八の土地の前所有者である塚越七郎、富野達藏、富野熊藏、林政吉らも右三筆共通の共有者であった。

ⅲ ところで、前記のとおり、海軍省は、池子弾薬庫の敷地として本件地域の土地を一括して購入してきたが、本件六ないし八の土地のような共有地の所有権を取得するためには全共有者の共有持分を取得する必要があるから、そのための買受けも一括してなされた。

したがって、本件八の土地の共有者のうち前記三縄以下三名について海軍省との間で売買契約が成立した昭和一七年四月一日ころ、本件八の土地の他の共有者についても、海軍省との間にその共有持分権の売買契約が成立し、海軍省が同土地のすべての共有持分権を取得したと推定される。また、本件八の土地とその共有者のほとんどが一致する本件六及び七の土地についても、右昭和一七年四月一日ころ、その各全共有者と海軍省との間にその共有持分権の売買契約が成立し、海軍省が各土地のすべての共有持分権を取得したと推定される。

ハⅰ この点に関し、原告らは、本件六ないし八の各土地については道路が直結し、比較的広い面積を有していることから、周辺土地について買収がなされても本件六ないし八の各土地は茅場としての利用に支障がない位置にあり、かえって共有地であるため多数の所有者を対象として買入交渉し、その承諾を得なければならないことから、買収対象からはずす方が合理的選択である旨反論する。

しかし、本件六ないし八の各土地は、前記のとおり、周辺土地から切り離して孤立させた場合には有効利用が不可能になるのであって、一団の土地として池子弾薬庫拡張のための敷地とする場合、当然周辺土地とともに当該施設の敷地とすべき位置関係にある。そして、右各土地は、このような経緯に照らし、茅場として自由に出入りできる土地ではないうえ、そもそも、山上部に存在する土地であって、原告らの言うように道路に直結してはいない。したがって、原告らの右反論は失当である。

ⅱ また、原告らは、本件八の土地の共有者一四名のうち三名については被告への持分全部移転登記手続がなされていることを認めながら、右事実から被告が本件八の土地のすべての共有持分を取得したと推定できるものではなく、いわんや被告が本件六及び七の各共有地をも取得したと推論することは許されず、また、本件六ないし八の各土地の共有者の間では、代表者のような定めはなかったのであり、代表者を名のっても、何の処分権限も受領権限もない旨主張する。

しかし、昭和四〇年九月四日に、昭和一七年四月一日付け買収を登記原因として、三縄由蔵、石渡好文及び石黒保五郎から被告への持分全部移転登記手続がなされていることは、原告らも認めるところであり、右登記手続きがなされるに至ったのは、前記のように、被告が共有者ないしその代理人を参集させて買収手続を行い、売買代金を支払った事実が存在したからである(〈書証番号略〉参照)。例えば、石黒保五郎に関して、石黒熊太郎に対して売買代金が支払われているが(〈書証番号略〉参照)、同人は、持分権を有していなかったことから、同人が当時の権利者であった石黒保五郎を代理して代金を受領したと推認される。そして、前述したとおり、本件六及び七の各土地についても、被告は、共有者ないしその代理人との間で売買契約を締結したものと解される。そして、本件六及び八の各土地については、当時の登記名義人と売買代金の受領者との対応関係は別紙別表4(1)及び(2)のとおりである(〈書証番号略〉参照)。これによれば、一部の共有権者には売買代金が支払われた事実が確認できないものの、共有者ないしその代理人との間の売買契約の締結と富野熊藏に対する代金支払の事実が裏付けられる。

すなわち、昭和二四年二月に支払決議(〈書証番号略〉参照)のなされた当時の右各土地の共有名義人ないしその代理人らは、明示ないし黙示の意思表示により、被告に対する右各所有権譲渡の対価としての金員の受領権限を富野熊藏に授与し、被告は同人を右共有名義人らの代理人(代表者)と認めて一括して支払決議したものである。また、原告らは、(右支払決議によっても)本件六ないし八の買収代金が支払われたことまでは認められないから被告の主張は失当である旨反論するが、右事実経過に照らせば買収代金が支払われたことは十分推認ができる。

(7) 以上のように、本件各土地は、被告が、旧地主から買収したものであることは明らかである。なお、比較的短期間に多数の物件が順次一括買収できたのは、当時の戦局を反映し、国民が国の政策に協力的であったからである(〈書証番号略〉参照)。

(二) 原告らの前者の所有権喪失――時効による被告の本件各土地の取得

(1) 戦前の占有取得を起算点とする取得時効

イ 3(一)(1)記載のように、池子弾薬庫は、昭和一三年ころ設置され、以後海軍省施設用地として同軍が占有使用し、昭和二〇年九月一日連合国軍(占領軍)によって接収された。昭和二七年四月二八以降は安保条約により、わが国がアメリカ合衆国軍隊に対し、その施設として提供して現在に至る。その敷地の範囲は、接収中拡張されていない(部分的な接収解除により当初より狭くなっている。)のであるから、現在同敷地となっている本件各地を含む土地地域は、接収から現在に至るまで一貫して同敷地として占有使用されている。

そして海軍省は、前記のとおり、昭和一三年ころから昭和二〇年ころにかけて、池子弾薬庫の範囲を順次拡張し占有してきたが、以下その占有開始の時期などについて述べる。

ⅰ 本件一ないし三の各土地の周辺土地は、いずれも昭和一八年に海軍省が買収(売買)によって所有権を取得し、遅くとも昭和一八年末日までに、被告(海軍省)は、本件一ないし三の各土地を、右周辺土地とともに池子弾薬庫用地の一部として占有を開始した。

ⅱ 本件四の土地の周辺土地は、いずれも昭和一五年に海軍省が買収(売買)によって所有権を取得し、遅くとも昭和一五年末日までに、被告(海軍省)は、本件四の土地を、右周辺土地とともに、池子弾薬庫用地の一部として占有を開始した。

ⅲ 本件五の土地の周辺土地は、いずれも昭和一三年(3(一)(5)ロⅲ記載の第一次買受け)あるいは昭和一五年(同記載の第二次買受け)に海軍省が買収(売買)によって所有権を取得し、遅くとも昭和一三年末日までに、被告(海軍省)は、本件五の土地を、右第一次買受けにかかる周辺土地とともに池子弾薬庫用地の一部として占有を開始した。

ⅳ 本件六いし八の各土地の周辺土地は、いずれも昭和一六年から一七年にかけて海軍省が買収(売買)によって所有権を取得し、遅くとも昭和一七年末日までに、被告(海軍省)は、本件六ないし八の各土地を、右周辺土地とともに池子弾薬庫用地の一部として占有を開始した。

ロ 短期取得時効

ⅰ 被告は、前記各占有の開始時において、本件各土地が被告の所有権に属すると信じたが、これについて無過失であった。

ⅱ 被告は、昭和二八年(右3(二)(1)イⅰの関係)、同二五年(同ⅱの関係)、同二三年(同ⅲの関係)及び同二七年(同ⅳの関係)の各末日において、右各土地を占有した。

ⅲ 被告は、本訴において右取得時効を援用する。

ハ 長期取得時効

ⅰ 被告は、昭和三八年(右3(二)(1)イⅰの関係)、同三五年(同ⅱの関係)、同三三年(同ⅲの関係)及び同三七年(同ⅳの関係)の各末日において、右各土地を占有した。

ⅱ 被告は、本訴において右取得時効を援用する。

(2) 昭和二七年七月六日の占有取得を起算点とする取得時効

イ 被告は、昭和二七年七月二六日に本件土地を占有した。

仮に、終戦後、連合国が本件各土地を占領したことにより、(1)の取得時効が中断したとしても、被告は、昭和二七年七月二六日、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定第二条により在日米軍に提供する施設及び区域を決定して官報に掲載した。右施設及び区域中の一般施設のうち、「無期限使用の部」に挙げられている逗子町池子所在の池子弾薬庫(FAC番号三〇八七)が本件各土地を含む池子弾薬庫跡地(本件地域)を指すことは明らかであるから、米軍が、本件各土地を、日本国の占有を排除して自主的かつ独自の権限に基づいて占有を開始したのではなく、日本国が米軍に対し供与したものにすぎない。したがって、仮に戦後の連合国による本件各土地の占領によって被告の占有が中断したとしても、被告は、対日平和条約発効後、安保条約及び行政協定に基づき、本件各土地の占有を占有改定の方法により連合国軍から回復するとともに改めて在日米軍に対し本件各土地を供与したものである。それ以後、右提供措置により、被告は、本件各土地を占有(間接占有)している。

ロ 短期取得時効

ⅰ 被告は、前記各占有の開始時において、本件各土地が被告の所有権に属すると信じたが、これについて無過失であった。

ⅱ 被告は昭和三七年七月二六日に本件各土地を占有した。

ⅲ 被告は、本訴において右取得時効を援用する。

ハ 長期取得時効

ⅰ 被告は昭和四七年七月二六日に本件各土地を占有した。

ⅱ 被告は、本訴において右取得時効を援用する。

4  抗弁に対する認否と反論

(一) 抗弁(一)(売買の抗弁)に対する認否、反論

(1) 同(1)について

イ 同イの各事実について

同事実中、第一段については、被告(海軍省)が、池子弾薬庫用地のすべてを占有使用管理してきたことは知らない、本件各土地の占有については否認し、その余は明らかに争わない。第二、第三段の各事実は認める。

ロ 同ロの各事実について

同事実中、海軍省が本件各土地を買収したことは否認し、その余は知らない。

ハ 同ハの各事実について

同事実は知らない。

ニ 同ニの事実について

同事実中、海軍省によって行われた池子弾薬庫用地の買収の手続は知らない(ただし、同ⅱの⑦のうち、海軍省と地主との間の売買契約が地主の承諾の時に成立するとの点は争い、買収交渉においてあくまでも買収を拒否するという地主がいなかったとの点は否認する。)。また、海軍省が、池子弾薬庫敷地の土地を買収するについて、常に一括して用地買入手続がなされたことは否認する(反論は後記4(一)(2)のとおり。)。

ホ 同ホについて

同事実中、終戦後に海軍省ないし大蔵省名義になった土地が、それ以前に海軍省が取得した土地の一部であり、終戦当時に所有権移転登記手続事務が未了であったとの事実は知らない、それが戦争末期の混乱による関係資料の滅失等に原因することは否認し、戦後これらの土地について大蔵省により行われたいわゆる旧軍未登記財産の管理事務の内容は知らない、本件各土地がそのような旧軍未登記財産であるとの事実ないし主張は否認ないし争う。また、本件各土地について、売渡書等の買収手続上作成されるべき書類が存在しないことは認め、右各資料が散逸したことは否認する。本件各土地については、買収手続は実行されず、したがって資料も存在したことがない。

ヘ 同へについて

被告主張の本件各土地の周辺土地の買受け時期(別紙図面二ないし四)のうち、被告が、字笹ヶ谷一七一八番及び字仲川一六九七番の各土地、字笹ヶ谷一七〇七番、同一七〇八番、同一七二六番、同一七二七番及び同一七二九番の各土地、字笹ヶ谷一七二五番一の土地、字笹ヶ谷一六九九番一及び同一七〇〇番ロの各土地をそれぞれの周辺の土地と共に一括して旧地主から買い受けたこと及び字八坂一一六五番三、同一一六六番三、同一一六八番三、同一一六九番三、同一一七六番二及び同一一九三番三の各土地が池子弾薬庫設置以前に既に国有地であったことはいずれも否認し、その余は明らかに争わない。

(2) 原告らの主張

イ 売買の成立について(売渡書の不存在)

買収の成立は、売渡書の作成によると解するべきである。

被告は、地主の承諾の時に海軍省と地主との間に民法上の売買契約が成立する旨主張する。しかし、池子弾薬庫敷地の買収は、強大な権力を持つ組織体である国家が、大勢の地主から短時間に広大な土地を買収するという大量の定型的な取引であるから、意思の合致のみで買収が成立するとすべきではない。むしろ、被告の主張する手続自体からして国民に対して承諾書の提出を必要とし、書面による意思表示を求めていることからみても、国家の大量買収の成立要件を、個人間の取引を予定している民法の意思の合致の原則に従って決するべきでない。

また、被告の主張する旧地主の参集手続をみると、買収交渉と称する段階において、個々の地主を手続に関与させ、その意思を問うことなど予定せず、文字どおり、参集した地主への説明で全ての地主の承諾をする「一括」処理をして、買収を既成事実として、引渡や登記手続を推し進めていったのが実際の運用であった。そうであるとすれば、右の買収手続において個々の地主の意思が個別かつ明確に表明されるのは、売渡書ないし登記に必要な書類の作成時点というべきである。

ロ 一括買収の点について

被告の主張を前提としても、買収交渉においては、地主の承諾が得られるまで同様の手続が何回も繰り返されたというのであり、一括性の主張は疑問がある。

また、一団の土地を対象にして、一括で買収手続が開始されたとしても、売主側の事情は個別事情であり、参集に応じる等契約手続はあくまで個別に進められるものである。したがって、仮に一団の土地が買収の対象とされて手続が開始されるとしても、対象とされた一団の土地全体について一度に売買契約が成立したと推定することは許されない。そして、被告は、池子弾薬庫の建築工事の必要に応じて一括買収したと主張しながら、右各工事の時期、内容、範囲や、そのためどの範囲の土地が必要になったかなど全く明らかにしておらず、一括買収の根拠自体あいまいである。

一団の土地の買収日時が同一であること、軍の命令が絶対であった戦時中の状況、参集場所で買収に異議を唱えると憲兵から銃剣を突きつけられた状況、右参集による買収手続が交渉の場として機能していたとはいえないこと等を考えると、売買が売主全員の承諾のもとに一時に成立したとの事実は信用し難い。むしろ、地主の参集や承諾の有無にかかわらず、軍が必要と判断した土地については、売買契約の成立の有無を問わず強制的に住人を退去させたものである。

ハ 買収漏れの土地の存在

ⅰ 終戦後の買入と多額の「見舞金」処理

本件地域内の広範な地域に点在する相当数の土地について、昭和五四年、所有者に対して、約一〇〇〇万円の「見舞金」が支払われたうえ真正な登記名義の回復を原因として被告に所有権移転登記手続が経由されている。右見舞金は、その金額から考えて売買代金というべきものである。以上の各事実は、被告が本件各土地の周辺土地等について、被告の主張する昭和一三年から二〇年ころにかけて売買が成立しなかった土地があることを自認したことを示すものである。

ⅱ 賃借地

本件地域内の土地の中には、戦後、被告がその所有者との間で賃貸借契約を締結したものが多数ある。これらの土地について被告が私有地として認めている事実は、被告が本件地域内の土地について売買契約が成立していない土地が存在することを認めていることを裏付ける事実である。被告は、右賃貸借契約の締結は被告の政策的判断によるものであり、買入がなされていなかったことを認めた結果ではないとする。しかし、そのような政策的判断があったとの事実は全く窮われず、被告のこの点の主張も失当である。

ⅲ これらの事実は、被告が、買収手続から漏れた土地があることを自認したうえでの行動と考えられ、本件各土地については買収手続から漏れていたと推認すべきである。

(3) 同(3)(本件一ないし三の各土地についての海軍省の取得)に対する認否と反論

イ 同イの事実は否認する。

ロ 同ロ(イの事実を裏付ける間接事実等)に対する認否反論

ⅰ 認否

同ロのうち、第一段及び第二段の事実中、被告の主張する各土地の登記簿に被告が主張するような売買による所有権移転の記載があることは認め、右各土地の売買代金は明らかに争わない、同第三段の事実は否認し、被告の推論は争う。

ⅱ 反論

一括買収の主張そのものが失当であることは、前記4(一)(2)ロのとおりである。被告の主張(別紙図面二の区分け)は、これを裏付ける合理的理由ないし証拠のないものが多い。むしろ正確に区分けすれば別紙図面五記載のとおりである。また、本件一ないし三の土地は、いずれも道路際の土地ないしこれと地続きの土地であり、周辺の土地と切り離してもそれだけて有効利用できる位置にあるから(別紙図面一、二参照)、地主の側からすれば字笹ヶ谷一七〇四番や同一七〇六番の土地とともに売却する必要はない。さらに、本件一ないし三の各土地の周辺の土地のうち、字笹ヶ谷一七〇七番など五筆の土地は、見舞金が支払われたうえ昭和五四年六月二九日に真正な登記名義の回復を原因として所有権移転登記手続がされた土地である。これらの点に照らすと、被告主張のような一括買収の事実は本件一ないし三の土地(及びその周辺土地)についてもなかったと推認される。

さらに、被告は、昭和一八年以前に買収済の土地については、すでに買収されていたのだから一括買収の主張に抵触しないとし、また昭和一九年三月二九日に買収された五筆の土地について、昭和一八年度と同一会計年度であるから問題ない旨の主張をする。しかし、一括の範囲(一団の土地の範囲)が被告主張のように明確に区別されていないことが問題であり、右事実は、同時期に参集手続があった土地について売主側の事情等により売買や登記の時期が異なった土地のあることを示す事実であって、結局売渡書が提出されず、買収がなされないままであった土地の存在を推認させるものである。

前記4(一)(2)ロのとおり、同一所有者であっても、全ての所有地の買収に応じるとは限らない。字笹ヶ谷一六九九番と同番二の土地は長島竹次郎の所有地であったが、それぞれ異なった時期に買収されている。このことは、同一所有者である長島竹次郎が同番二の土地は昭和一八年の買収を認めたが、同番一の土地についてはこれを認めず、被告も同人の右主張を認めたことを示すものである。したがって、本件一ないし三の各土地について、勇治と被告との売買契約の存在(勇治の承諾)を推認する根拠はなく、右各土地について所有権移転登記手続がなされていないことからみて売買の事実がなかったと推認される。

(4) 本件四の土地について

イ 同イの事実は否認する。

ロ 同ロ(イの事実を裏付ける間接事実等)に対する認否、反論

ⅰ 認否

同ロ前段の事実について、被告の主張する各土地の登記簿に被告が主張するような記載がなされている事実は認める(ただし、本件四の土地周辺の土地の字舞台一〇六一番一等四筆の土地について前所有者と海軍省との間で売買契約が成立していることは知らない。)。後段の事実は否認し、被告の推論は争う。

ⅱ 反論

旧土地台帳の記載に関する被告の主張について、不動産の権利変動に対しては、まず原則としてその変動の事実が当事者の申請によって登記簿に記載された後、右登記事実(登記年月日、登記原因等)を徴税官庁が職権で旧土地台帳に登載する(旧土地台帳法四三条の二参照)。登記が先行し、登記後に職権で旧土地台帳に記載されるのであるから、旧土地台帳の記載と登記簿上の記載の不一致は本来起こり得ないはずである。登記簿に記載がないのに旧土地台帳に記載があることはそれ自体不自然であって、少なくとも、当事者の意思によるものではない。したがって、旧土地台帳の記載は買収の証拠とはならない。

また、被告は、本件四の土地との一体性を強調するが、本件四の土地は道路沿いの狭隘な土地であり、周辺の道路沿いの土地はすべて被告所有地であり、その東側部はすべて京浜急行の鉄道用地になっているから、被告が本件四の土地を取得しなくても、他の周辺土地の有効利用が妨げられるものではない。したがって、本件四の土地についても、周辺土地との間で一団性、一体性を有するとはいえず、被告のこの点の主張も合理性がない。

また保存登記は権利者であれば誰でも、かつ単独申請手続によりなしうるのであるから、不動産の譲受人が直接に保存登記できるのであって、当時保存登記がされていなかったことは被告への移転登記がなされなかったことの合理的理由にならない。

(5) 本件五の土地について

イ 同イの事実は否認する。

ロ 同ロ(イの事実を裏付ける間接事実等)に対する認否、反論

ⅰ 認否

同ⅰの事実は認め、同ⅱの事実は知らない、同ⅲ及びⅳの被告の推論については争う。

ⅱ 反論

被告は、本件五の土地には抵当権が設定されていたから所有権移転登記手続ができなかったと説明する。

しかし、本件五の土地の元地番を同じくする字仲川一六四二番一、二及び四の各土地の抵当権や所有権の登記経過にかんがみると、遅くとも同番一及び二の土地の移転登記を経由した昭和一五年七月五日には、本件五の土地についても抵当権は付着しておらず、所有権移転登記ができたはずであって、被告がこの時点でも所有権移転登記手続をしていないことは、被告が本件五の土地を買収の対象とせず、また一郎も買収の承諾をしなかったことを推認させる。

(6) 本件六ないし同八の各土地について

イ 同イの事実は否認する。

ロ 同ロ(イの事実を裏付ける間接事実等)に対する認否反論

ⅰ 認否

同ⅰ及びⅱの事実については、被告主張のような登記がなされていることは認め、それに沿う契約の存在については知らない。

同ⅲの被告の推論については争う。

ⅱ 反論① 買入交渉に対する反論

本件六ないし八の各土地は、被告の主張によっても、昭和一五年度買収と昭和一六年度買収の境界部分に位置しており、また、本件六の土地に接した字笹ヶ谷一七八一番の土地は昭和一七年度の買収であって、本件六ないし八の土地の周辺土地が買収対象として一団となっていないことが明らかである。したがって、本件六ないし八の土地は、どの年度の買収対象土地とも一体となり得るし、逆にどの年度からも切り離して考えられる。しかも、本件六ないし八の土地には道路が直結し、右各土地は比較的広い面積を有しているから、周辺土地が買収されても、茅場としての独立した利用に支障のない位置関係にある。

ⅲ 反論② 承諾について

本件六ないし八の各土地の共有者は同一ではないから、仮にこのうち一筆の共有地についてその共有者全員の承諾を得て売買契約が成立したとしても、当然に他の共有地について共有者全員の同意を得たことにはならないし、共有者の代表者として行動した者があったとしてもその者が共有者全員の代理権(ないし代表権)を有していたことにはならない。

したがって、被告のいう三縄由蔵以下三名(旧地主の相続人)の同意をもって、被告が主張したころに本件六ないし八の土地すべてについて被告と共有者全員との間の売買契約があったとすることはできない。

(7) まとめ

以上のように、本件各土地のいずれについても、買入交渉がなされ、承諾がなされたとする被告の主張は、根拠の乏しい推論に過ぎない。かえって、周辺の土地の所有権移転登記手続がなされているのに、合理的理由もなく本件各土地の所有権移転登記手続が未了であることから、本件各土地は買収されていないと推認すべきである。

(二) 抗弁(二)(時効の抗弁)に対する認否と反論

(1) 3(二)(1)について

イ 同イの事実はいずれも知らない、主張は争う。

ロ 同ロについて、ⅰの事実中、被告が、前記各占有の開始時において無過失であったことについては否認し、同ⅱの事実は明らかに争わない。

ハ 同ハⅰの事実は明らかに争わない。

(2) 3(二)(2)について

イ 同イの事実中、被告が、昭和二七年七月二六日、対日平和条約発効後、安保条約及び行政協定に基づき、本件各土地の占有を占有改定の方法により連合国軍から回復するとともに改めて在日米軍に対し本件各土地を供与しそれにより本件各土地を占有したことは知らない、法的評価については争う。

ロ 同ロについて、ⅰの事実中、被告が、前記各占有の開始時において無過失であったことについては否認し、同ⅱの事実は明らかに争わない。

ハ 同ハⅰの事実は明らかに争わない。

5  再抗弁

(一) 所有の意思の不存在

所得時効の要件である所有の意思は、占有者の内心の結果によってではなく、占有取得の原因である権原または占有に関する事情により外形的客観的に決められるべきものであるから、占有者がその性質上所有の意思のないものとされる権原に基づき占有を開始した事実が証明されるか、または占有者が占有中、真の所有者であれば通常とらない態度を示し、もしくは所有者であれば当然とるべき行動に出なかったなど、外形的客観的に見て占有者が他人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかったと認められる事実が証明されるとき、所有の意思は認められない。池子弾薬庫敷地の「買収」はただちに民法上の売買すなわち所有権の終局的な移転を目的とする契約とは認められないうえ、被告は、占有中、真の所有者であれば通常とらない態度を示し、かつ、所有者であれば当然とるべき行動に出なかったものである。池子弾薬庫用地の買収手続の実際やその後の経緯についての種々の間接事実に照らし、被告の右占有は所有の意思に基づくものとはいえないと推認される。本件各土地に対する被告の戦前からの占有は所有の意思に基づくものではない。

また、昭和二七年の占有取得を根拠とする時効取得についても、もともと被告の本件各土地の占有は所有の意思をもってしたものではないから、安保条件及び行政協定に基づき改めて在日米軍に本件各土地を提供したからといって、他主占有が自主占有にかわるのではない。したがって、被告の占有は右提供後も他主占有というべきである。このことは、日本国憲法制定にともなって新たに制定された現行の国有財産法との関係からも裏付けられる。

(二) 強暴による占有の取得

被告は、池子弾薬庫敷地の占有は平穏に開始されたとする。

しかし、被告が第一次的に主張する本件各土地についての占有開始時期は、まさにわが国が戦争に突入し、戦線を拡大しつつある時期であり、戦争遂行のためには国民はいかなる犠牲をも払わねばならないとされていた時代であった。こうした社会情勢のもとで、被告は、本件各土地についても、被告は市町村長の名で役場に地主を集め、銃剣を突きつけ、一方的に期限を定めて立ち退きを言い渡し、出頭できない地主がいても、かまわず全住民を強制的に退去させて占有を開始した。したがって、本件各土地の占有開始は強暴による占有の取得である。

また、日本の降伏後、連合国軍としての米軍は、戦前戦中の日本軍同様強大な権力と武力を持った支配者として、抵抗しがたい実力により、本件各土地を含む本件地域を排他的に占有し、昭和二七年の平和条約締結後も、在日米軍による管理はそのまま維持されたのであるから、昭和二七年の占有開始も強暴による占有取得である。

(三) 権利の濫用ないし信義則違反

時効制度の根拠として、①永続した事実状態を保護し法律関係の安定をはかる、②証拠の散逸による不利益からの救済、③権利の上に眠る者は保護に値しない、といった点が指摘されている。

被告の時効援用は、この点に照らし、権利の濫用あるいは信義則違反として許されない。

(四) 占有の喪失(占領による時効中断)(抗弁(二)(1)の戦前の占有取得を根拠とする時効取得に対して)

昭和二〇年八月一四日、被告日本国政府はポツダム宣言を受諾し、同年九月二日、降伏文書に調印し、日本国と日本国の支配下にある一切の軍隊は連合国に対し無条件の降伏をした。これにより、日本国領域内の諸地点は連合国軍によって占領され(ポツダム宣言第七項)、日本国軍隊は武装解除され(同第九項)、また戦争のため再軍備をなすことを可能ならしめるおそれのある産業も禁止されることになった(同第一二項)。これにより、日本国政府は、降伏により、軍事施設に対する直接支配はもとより、間接的に支配する権限も放棄し、海軍が占有していた池子弾薬庫についても占有の意思を放棄し、所持を失い、本件各土地の被告による占有は中断した。

被告は、駐留軍がいわゆる間接統治方式を採ったことから、被告の間接占有はあったと主張する。しかし、間接統治方式なる占領方法から直ちに私法上の間接占有が導かれるものではない。ポツダム宣言受諾後の駐留軍による占有は、本人(被告)のために駐留軍が代理人として占有したとは考えられないものであり、被告の主張は根拠を欠く。連合国軍は、日本上陸後、まず旧日本帝国陸海軍施設等を占領しており、調達要求書に基づく接収以前に軍事関係不動産をすべて占拠し、池子弾薬庫も、連合国軍が上陸後直ちに占領し、日本国民の立入りを武力により禁止して使用した。この接収などの手続以前の事実行為は、文字通り日本国の占有を排除して得た事実上の直接支配たる占拠である。したがって、少なくともこの期間は被告は間接占有をも有しない。

(五) 時効完成後の第三者(本件二及び三の各土地に対して)

仮に被告の時効取得が認められるとしても、請求原因で述べたように、フミは、被告の主張する各時効が完成した後である昭和六〇年二月一日に、精一に、本件二及び三の各土地を贈与した。

よって、被告は、右各時効取得を登記なくして精一及びその相続人である原告治行に対抗できない。

なお、精一は、同日贈与を原因として横浜地方法務局横須賀支局昭和六〇年二月二六日受付第七五七四号による所有権移転登記を経由し、原告治行も相続による所有権移転登記を経由している。

6  再抗弁に対する認否と反論

再抗弁事実はいずれも否認し、主張は争う。

7  再々抗弁(再抗弁(五)について――背信的悪意者の主張)

(一)(1) 請求原因及び再抗弁の事実それ自体から分かるように、精一は、本件訴訟の原告であったが、同じく原告のフミから、本件訴訟提起のわずか一か月前に本件二及び三の各土地の所有権を譲り受けた。

(2) その原因も無償譲渡行為である贈与である。

(3) 精一は、フミの義兄(米雄の実兄)である。

(4) 精一は、本件の事実関係を知悉して本件二及び三の各土地の贈与を受けた。

(5) 精一は、米雄が昭和五八年一一月三日に死亡してからは、君島家の生存する男子として、訴訟の提起などについて実質的に判断を下しうる立場にあった。

(6) 精一は平成元年一〇月四日死亡し、原告治行が本件二及び三の土地に関する精一の権利義務を承継した。

(二) 精一が本件二及び三の各土地の贈与を受けた理由は、米軍住宅建設反対運動の一環として、本件訴訟を提起し、ないしは被告の所有権に基づく主張を妨げることにあった。

このことは、本件二及び三の各土地の固定資産課税台帳上の登録価格が昭和六三年度においてもそれぞれ八一八一円、七八九四円と極めて低額であったこと、精一が、前記のように、昭和六〇年二月一日にフミから右贈与を受け、同月二三日に本件訴訟の提起を原告ら代理人らに委任し、同月二六日に所有権移転登記を経由したうえで、同年三月一六日に本件訴訟を提起したこと、当時は横浜防衛施設局が環境予測予備評価(アセスメント)案を神奈川県に提出すべく準備を整えていた時期であり(提出日は同月二八日である。)、右反対運動にとっては重要な時期にさしかかっていると認識されていたものと考えられることからも推認できる。

(三) 結論

したがって、精一及び原告治行は被告の登記の欠缺を主張できない。

8  再々抗弁に対する反論

争う。

二  反訴関係

1  請求原因

(一) 原告ら名義の登記の存在

別紙第一目録「原告(反訴被告)」欄各記載の原告は、それぞれ同欄に対応する同目録「物件」欄記載の各土地について登記名義を有しており、別紙第二目録「原告(反訴被告)」欄各記載の原告は、それぞれ同欄に対応する同目録「物件」欄記載の各土地について、それぞれ同目録「持分」欄記載の各共有割合の持分権の登記名義を有している。

(二) 被告の所有権取得原因

(1) 売買による所有権の取得

イ 本件土地の前所有名義人等

勇治は本件一ないし三の各土地を、一郎は本件四及び五の各土地をそれぞれ所有し、七郎、辰藏及び熊藏はいずれも本件六の土地について一九分の一、本件七及び八の各土地について各一四分の一の割合で右各土地の共有持分権を有していた。

ロ 売買による被告の本件各土地の取得

一3(一)(本訴関係の売買の抗弁事実)と同様である。

(2) 時効による所有権の取得

一3(二)(本訴関係の時効の抗弁)と同様である。

2  請求原因に対する認否と反論

(一) 請求原因(一)の各事実はいずれも認める。

(二) 請求原因(二)の各事実中、(1)イについてはいずれも認め、(1)ロ及び(2)については前記一4(本訴関係の抗弁に対する認否と反論)と同様である。

3  抗弁

一5(本訴関係の再抗弁)と同様である。

4  抗弁に対する認否と反論

一6(本訴関係の再抗弁に対する認否と反論)と同様である。

5  再抗弁

一7(本訴関係の再々抗弁)と同様である。

6  再抗弁に対する反論

一8(本訴関係の再々抗弁に対する反論)と同様である。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

第一本訴請求について

一本件各土地の元所有者

1  君島勇治(以下「勇治」という。)が別紙第一目録の「物件」欄の①ないし③記載の各土地(以下、別紙第一及び第二目録の各「物件」欄に記載の①ないし⑧の土地を「本件一の土地」等といい、本件一ないし八の土地を総称して「本件各土地」という。)を所有していたこと、石黒一郎(以下「一郎」という。)が本件四及び五の各土地を所有していたことはいずれも当事者間に争いがない。

2  塚越七郎(以下「七郎」という。)、富野辰藏(以下「辰藏」という。)、富野熊藏(以下「熊藏」という。)及び林政吉(以下「政吉」という。)が、いずれも、本件六の土地について一九分の一の割合、本件七及び八の各土地についてそれぞれ一四分の一の割合で右各土地の共有持分権を有していたことはいずも当事者間に争いがない。

二本件各土地の位置

本件各土地が、別紙図面一記載の黒線で囲まれた地域(以下「本件地域」という。)の中にあり、戦前、旧海軍が本件地域を含む土地につき弾薬庫(以下「池子弾薬庫」という。)用地として使用していたことは当事者間に争いがない。

三そこで、被告の売買の抗弁について検討する。

1  池子弾薬庫の概況及び本件各土地の位置関係について、以下の各事実は、原告らにおいて明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

(一) 池子弾薬庫は、被告(海軍省。以下、省庁が行った行為は被告の機関としての行為である。)が海軍用地として設置し(池子弾薬庫が海軍の施設のひとつであることは、〈書証番号略〉から認められる。)、占有使用管理してきたものであるが、昭和二〇年の太平洋戦争終結により、連合国を構成するアメリカ合衆国軍隊に接収(なお、弁論の全趣旨によれば、「接収」とは、旧連合国が土地の占有をその所有者から直接移転することを指し、手続上は被告(日本国政府)が連合国から調達要求を受けて日本国の法令に基づいて連合国の用に供したものと認められる。)され、昭和二七年四月二八日に被告(政府)とアメリカ合衆国との間に締結された平和条約(昭和二七年条約第五号)が発効した後は、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(昭和二七年条約第六号)第三条に基づく行政協定」二条一項に基づき、その後昭和三五年以降は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三五年条約第六号)」六条及び「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(昭和三五年条約第七号)」二条に基づき、わが国が在日アメリカ合衆国軍隊(以下「在日米軍」という。)に提供しているものであり、現在は、「池子住宅地区及び海軍補助施設」と呼称される。

現在、池子弾薬庫の総面積は約二九〇万平方メートルであり、神奈川県逗子市、横浜市に跨がって位置している。その位置を地図上に示すと、概略、別紙図面一記載の黒線で囲まれた部分(本件地域)が現在被告が在日米軍に提供中の池子弾薬庫である(なお、〈書証番号略〉によれば、池子弾薬庫は、昭和二七年外務省告示第三四号により、被告が在日米軍に対して、無期限使用させる一般施設の一として提供したものであり、これは昭和三五年以降現在まで変化なく、地域の拡大はないと認められる。)。

(二) 海軍省は、同軍軍需部池子倉庫等の用地とするため、昭和一三年ころから本件地域に同倉庫の造営を始め、以後同一八年ころまでの間、池子弾薬庫の敷地となるべき土地の大部分の所有権を民有地買収などにより取得した。

(三) 本件一ないし八の各土地は、いずれも本件地域(池子弾薬庫)内に存在しており、右図面及び別紙図面一ないし四各記載の①から⑧として示した土地部分が本件一ないし八の各土地であって、その位置は右各図面記載のとおりである。

2  用地買収の手続及びそのいきさつ等について

〈書証番号略〉、原告富野良雄本人尋問の結果(ただし、後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の各事実が認められる。

(一)(1) 海軍省建築局(同局が大正一二年ころに設置されたことは〈書証番号略〉から認められる。後の海軍施設本部)、海軍建築部(後の海軍施設部)等において工事等を施行するにあたっては、まず、所管長官が海軍大臣に対し当該工事につき調査書等を作成して上申し(海軍建築工務規則七条)、海軍大臣は工事の施行を訓令する(同規則九条)。国有財産の買入についても同様の手続による(同規則三一条)。一般に、被告の契約担当官が契約をする場合、原則として、契約の目的、履行期限、違約金、危険負担等の必要事項を詳細に記載した契約書を作成する(會計規則八五条)。

なお、被告(海軍省)は、土地買入の場合には、通常、所有権移転登記手続が終了した後に代金を支払った。しかし、地積の実測や登記手続の遅延等に伴い、土地引渡後代金支払までに著しく日数を要することが売主の生活の窮状を招くなど社会問題となっているとして、昭和一六年、「土地買収代金ノ支拂促進ニ關スル件」(昭和一六年一月二八日経物第九二号経理局長建築局長通牒、〈書証番号略〉)が定められ、これにより、代金の支払を促進するため、土地の買収の協定が成立すれば、各売渡者(またはその代表者連名)の承諾書または協定書を提出させ、各売渡者から売渡書を徴したうえ、登記手続の完了をまたずに代金を支払うことが認められた(同通牒一項、二項、四項参照)。

(2) 横須賀海軍建築部による池子弾薬庫用地の取得

海軍省は、本件地域を含む付近一帯の地域に弾薬庫を建設すること、及びそのために右地域にある民有地を買収することを決定し、海軍省の下部機関である横須賀海軍建築部(昭和一八年改称後は横須賀海軍施設部。以下同じ。)が、昭和一三年ころ、海軍施設として池子弾薬庫の建設に着手し、その用地買収も順次始めた。

この間、昭和一三年以降同二〇年までになされた横須賀海軍建築部における池子弾薬庫用地買収の手続は、概ね、以下のとおりである。

イ 横須賀海軍建築部は、池子弾薬庫を建設するため用地買収を行うに際して、所管長官である横須賀鎮守府司令長官から海軍大臣に対し用地買収を上申し(海軍建築工務規則七条)、海軍大臣は横須賀鎮守府司令長官に対し、用地買収を訓令した(同規則九条)。同司令長官は横須賀海軍建築部長に対し、右訓令を授達し、同建築部長は用地買収手続を開始した。

ロ 用地買収手続

ⅰ 横須賀海軍建築部は、海軍の軍事施設建設のために必要な買収対象の土地区域を決定し、右買収地区について、所轄の税務署、市町村役場などに照会し、公図や登記簿などにより買収対象地を調査して一筆毎の調書を作成し、右各土地についての買収予定価格を検討算出するために、税務署、県、市町村(役場)、金融機関などに土地の価額について照会する等して資料を収集し、右資料に基づいて買収予定価格を決定した。

ⅱ 横須賀海軍建築部(長)は、買収価格決定の後に、買収交渉のために、買収地域の市区町村長に対し地主の参集(印鑑持参)方を依頼し、これを受けた市区町村長は直ちに各地主に参集を要請した。

ⅲ 横須賀海軍建築部の契約(買収)担当官である会計主任、財務主任等は、町会事務所や学校などの右参集場所において、各地主(またはその代表者)に対し、公図の拡大図により買収の対象となっている土地を明示しながら、戦局が切迫していることと、軍需施設としての池子弾薬庫を建設する緊急な必要性のあること、そのための用地買収の必要性などを説明した。そして、地目による区分けなどに従った具体的な買収価格を明らかにしたうえで各地主等と買入交渉をし、買収の承諾を求め、地主の承諾が得られた場合には、各地主等に買収諸条件を記載した承諾書または協定書を提出させ、さらに各地主等から土地売渡書(契約書に代用)及び海軍省に所有権移転(または保存)登記を経由するために必要な書類一切の提出を受けた。登記嘱託官吏である横須賀海軍建築部長は以上に基づき登記嘱託をし、各土地について登記済の確認ができれば、地主(売主)ないしその代表者に対し土地売買代金を支払うこととした。

地主の中には、海軍省の示した価格に内心不満を感じる者もあったが、これらの者も、戦争中という時勢及び国民意識を反映し、結局は買収に応じ、参集した地主らの中から反対の意思を表示する者はいなかった。

なお、土地代金の支払時期については、前記三2(一)(1)記載の昭和一六年一月二八日の通牒により、登記済前の支払も認められるに至った。

(二)(1) 海軍省による右土地買収の経過についてみると、横須賀海軍建築部は、昭和一三年度には、神奈川県逗子市(当時は横須賀市、逗子町)池子字今堤(以下、現在の逗子市池子地区の土地を字名と地番のみで表示する。)、字八坂等の地区の土地を、昭和一四年度には字八坂、字敷沢等の地区の土地を、昭和一五年度には字笹ヶ谷、字八坂等の地区の土地を、昭和一六年度には字笹ヶ谷、字八坂、字七曲等の地区の土地を、昭和一七年度には字笹ヶ谷、字仲川等の地区の土地を、昭和一八年度には字笹ヶ谷、字うるし作、字仲川等の地区の土地をそれぞれ買収したことは別紙別表1ないし3記載のとおりである。これら買収手続においてはある時点で一筆の土地のみが買収の対象とされたことはなく、海軍省は公図上近接する一団の土地を同時期に買収していった。

(2) そして、海軍省は、池子弾薬庫に関しても、同施設の建設の必要性にしたがい順次拡張し、施設建設という性質上、一団の施設用地として利用するために、一括して海軍大臣から用地買入の訓令が出され、横須賀海軍建築部においても、右各土地の所有者全員を一同に集めて買い受けの必要性及び買い受け単価を説明するなど一括して買い受け交渉をした。そして土地売渡書等の書類についても可能な限り一括して作成するなど一括して用地買入手続を進めた。

(3) また、買収の対象となった土地の買受価格については、坪当たり単価を定め、一筆の土地全部を買い受けるときには台帳上の面積を、分筆して買い受けるときは実測面積をそれぞれ右単価に乗じて買受価格を定めていた。

(三) 海軍省ないし横須賀海軍建築部は、そのころ、本件各土地を含む買収対象地域を順次有刺鉄線で囲い込み、立ち入り禁止としていたが、このことについて当時異議を述べた者はなかった。

以上の事実が認められ、〈証拠判断略〉。

なお、原告らは、〈書証番号略〉(三堀繁雄の別事件における証言調書)は三堀証人の当時の職務権限に照らし池子弾薬庫用地の具体的な買収手続を証明する証拠とはなりえない旨主張するけれども、同号証から明らかな横須賀海軍施設部(建築部の後身)ないしその出張所に勤務していた際の三堀の具体的職務内容にあわせ、〈書証番号略〉の記載内容を仔細に検討するとき、原告らの右証拠に関する主張は採用できない。

3  そこで、右の各事実を前提として、本件各土地について被告の所有権取得が認められるかどうか順次検討する。

(一) 本件一ないし三の各土地について

(1) 本件一ないし三の各土地とその周辺の土地の位置関係について、以下の各事実は原告らにおいて明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

イ 本件一の土地(字笹ヶ谷一七〇五番の土地)は、昭和一八年当時、字仲川一六九六番、字笹ヶ谷一七〇〇番イ、同番ロ、同一七〇三番、同一七〇四番、同一七〇六番の土地(別紙図面二参照)、あるいは道路ないし水路(国有地)を介して囲繞されていたこと、及び右字仲川一六九六番以下六筆の土地のうち、字笹ヶ谷一七〇〇番ロの土地以外の五筆の土地はいずれも昭和一八年一二月一四日に右各土地の当時の所有者と海軍省との間で売買契約が成立していること。

ロ 本件二(字笹ヶ谷一七一三番)及び同三(字笹ヶ谷一七一五番)の土地は、隣接している土地であり、昭和一八年当時、字笹ヶ谷一七一二番、同一七一四番、同一七一六番、同一七一七番、同一七二二番、同一七二三番、同一七二五番及び二の各土地(別紙図面二参照)に、あるいは道路ないし水路(国有地)を介して囲繞されていたこと、右字笹ヶ谷一二一二番以下八筆の土地のうち、字笹ヶ谷一七一四番、同一七一六番、同一七一七番、同一七二二番及び同一七二三番の五筆の土地はいずれも昭和一八年一二月一四日に右各土地の当時の所有者と海軍省との間で売買契約が成立していること。

ハ 右昭和一八年一二月一四日の時点においては、前記字笹ヶ谷一七一一番、同一七一二番、同一七二五番二の各土地は、その隣接土地である字笹ヶ谷一七一〇番二、字仲川一六九三番二の各土地とともに既に買収済みであり、右各土地はいずれも池子弾薬庫が建設され始めた昭和一三年以降である昭和一七、一八年度に海軍省がその所有権を取得した土地であること。

ニ 右各土地の海軍省が買収した時の代金は、地目が山林の土地が一坪当たり二円、地目が畑の土地が同一二円、地目が宅地の土地が同一九円五〇銭であったこと。

ホ 字笹ヶ谷一七三一番、同一七四〇番一、字うるし作一八七一番イ、同一八七四番及び同一八七五番の各土地が右昭和一八年四月ないし一二月と同一会計年度内である昭和一九年三月二九日に(同時に)買収されていること。

(2) 以上の事実にあわせ、〈書証番号略〉によると、本件一ないし三の各土地は海軍省が昭和一八年一二月一四日に買収により所有権を取得した各土地と一団の土地として池子弾薬庫用地として欠くことのできない地理的状況にあることが明らかであり、特に本件一ないし三の土地を海軍省が買収の対象からあえて除外するべき特段の事情は原告はこの点に関する後記主張を考慮しても本件証拠上認められない。

右のような事情にあわせ前記三2で検討してきた池子弾薬庫用地の買収の態様といきさつに照らすと、本件一ないし三の各土地も周辺の土地と同じように昭和一八年一二月一四日に買収されたものと認めるのが相当である。

(3) 原告らは、本件一ないし三の土地の周辺の土地の中には、昭和一八年に被告が買い受けていない土地が存在するので本件一ないし三の土地について昭和一八年に買収があったとはいえないと主張するのでこれを検討する。

イ 弁論の全趣旨によれば、原告らが昭和一八年買収でないとする土地のうち、字笹ヶ谷一七一一番の土地は昭和一六年八月二五日に、同一七一二番の土地は昭和一五年一〇月一日に、同一七一〇番二、同一七二五番二及び仲川一六九三番二の各土地はいずれも昭和一七年四月一日に被告が買収したものであって昭和一八年一二月一四日の売買ではないことが認められる。しかし、右各土地は昭和一八年以前に買収された土地であって、前記2の事実及び後記3(二)ないし(四)認定の各事実に照らせば、それまでに被告において取得の必要があったため買収したことが推認される。したがって、これらの土地の存在は本件一ないし三の各土地の買収時期の判断には直接影響しない。

ロ 弁論の全趣旨によれば、字笹ヶ谷一七三一番一、同一七四〇番、字うるし作一八七一番イ、同一八七四番、同一八七五番の各土地はいずれも昭和一九年三月二九日に買収されていることが認められる。しかし、証人木内常善の証言及び弁論の全趣旨によれば、これは会計年度としては昭和一八年度の買収であり、一会計年度内の契約については、被告の事務処理上は支出の関係上同一に取り扱われていたことが認められる。したがって、右各土地の買収日が昭和一八年一二月一四日でないことは本件一ないし三の各土地の買収時期の判断には直接影響しない。

ハ 〈書証番号略〉によれば、(原告が指摘する一〇筆の土地のうち)字笹ヶ谷一七〇七番、同一七〇八番、同一七二六番、同一七二七番、同一七二九番の各土地をはじめ一七筆の土地について昭和五四年にその所有名義人から真正な登記名義の回復を原因として被告に対し所有権移転登記手続がとられていることが認められる。しかし、これらの土地は、後記4(三)で述べるとおり、いわゆる見舞金処理のされた土地であって、昭和一八年に買収されたと考えることは不合理ではない。

ニ 〈書証番号略〉によれば、字笹ヶ谷一七一八番の土地も登記簿上は昭和一八年に売買によって被告に所有権が移転した旨の記載はない。しかし、同土地は昭和三八年に被告が所有権保存登記を経由した面積三九平方メートルの狭隘な墳墓地であり、〈書証番号略〉から窺われる同土地の公図上の位置から考えると、同一七一九番の土地(弁論の全趣旨により、昭和一八年一二月一四日に被告が買収により所有権を取得していることが認められる。)と同一時期に被告が所有権を取得している可能性が極めて高い土地であると認められる。

ホ 弁論の全趣旨によれば、字仲川一六九七番の土地も、大蔵省の所有権保存登記が昭和三四年にされている土地であることが認められる。しかし、同土地も面積が一五四平方メートルと周辺の他の土地に比して狭隘な土地であって、〈書証番号略〉によれば、その位置上字仲川一六九六番(〈書証番号略〉により、昭和一八年一二月一四日に被告が買収により所有権を取得していることが認められる。)または字笹ヶ谷一六九八番(弁論の全趣旨により、昭和一八年一二月一四日に被告が買収により所有権を取得していることが認められる。)と同一時期に被告が所有権を取得している可能性が極めて高い土地であると認められる。

ヘ 弁論の全趣旨によれば、字笹ヶ谷一七二五番一の土地の登記簿には、相川市五郎が大正八年三月七日に取得した記載があるにとどまっているものと認められる。しかし、〈書証番号略〉によれば、右土地は右相川が昭和一八年一二月一四日に海軍省(横須賀海軍施設部長)に売り渡した土地であると認められる。

ト 以上原告らの主張はいずれも採用するに足りず、主張にかかる事実は本件一ないし三の各土地が周辺の土地とともに昭和一八年一二月一四日に被告に買収されたとの点を覆すに足りない。

(二) 本件四の土地について

(1) 原本の存在及び〈書証番号略〉は、本件四の土地(字舞台一〇六七番一)の旧土地台帳(写)であるが、これには、本件四の土地が昭和一五年七月二日付けで、一郎から海軍省への所有権が移転されたこと、同月に地目が「田」から「海軍用地」に変更され、その理由は買上除租による旨各記載されている。

旧土地台帳上右のように所有権移転、地目の変更が記載されていることは、本件四の土地が右記載のとおりその日時に売買によって被告の所有に帰したことを証する有力な証拠であって、その証明力は登記簿の記載に準ずるものである。

確かに、地租法および同法施行規則の内容を引継いだ旧土地台帳法では土地台帳上所有権の変動は登記後になされる旨規定(四三条の二)されており、本件四の土地については土地台帳上登録されているにもかかわらず当時においてはその旨登記がなされていなかった。しかし、他方旧土地台帳法四三条の二第一項本文、同項三号によると、未登記の土地が国有地となって課税の対象とならなくなったときは前記規定は適用されず登記をしなくとも登録できるとされている(なお、地租法一七条二項、二七条、三〇条二号参照)。右各条項は、未登記の土地を国が私人である旧所有者から売買によって取得した場合、土地台帳上名義の変更をしないと旧所有者が未だその土地の所有者であるとされて課税される不都合を避けるための規定である。したがって、本件四の土地の場合のように登記簿上の記載がなくとも土地台帳上その所有権の変動の記載があることはなんら異とするものではなく、また、その記載が有する前記証明力は登記簿上に記載がないことによってなんら左右されるものではない。なお、本件四の土地については、昭和三〇年まで被告のために所有権保存登記がされていない。これは、〈書証番号略〉によると、昭和一五年(一三年から二〇年)当時、海軍省が買収した土地のうち分筆のあった土地については土地台帳上分筆処理が終了してから登記簿にその旨の登記がなされていたこともあり、特に本件四の土地については当時所有権保存登記がなされていなかったことから登記簿に記載されないまま(旧)土地台帳に一郎から海軍省への所有権移転の記載がなされたとの理由によるものである。また、昭和三〇年になって所有権保存登記がなされたのは、あくまで被告の事務処理上の都合上なされたもので所有権変動の実体に符合したものではない。

(2) さらに、周辺土地との関係からみても、〈書証番号略〉によれば、字舞台一〇六一番一、同一〇六二番、同一〇六五番六、同一〇六六番の土地(別紙図面三参照)については、いずれも昭和一五年四月一五日に右各土地の前所有者と海軍省との間で売買契約が成立しているが、これらの土地はいずれも周辺の鉄道用地(当時すでに鉄道用地であったことは後記のとおり。)とともに本件四の土地を取り囲むように相互に隣接して存在する土地であり、取引の通例上、これらの土地について売買があれば、同時に本件四の土地も売買の対象となることが自然であるというべき関係にあって、特に本件四の土地をあえて売買の対象から除外すべき合理的理由は証拠上認められない。

なお、弁論の全趣旨によれば、右字舞台一〇六七番七の土地等本件四の土地を囲繞する形で存在するその他の土地は、昭和一七年五月二六日からは会社合併により東京急行電鉄株式会社が所有していた土地であると認められるが、右会社合併は鉄道会社に関するいわゆる戦時統合による当時既にあった鉄道会社の合併であると認められるから、右字舞台一〇六七番七等の土地は隣接する一団の土地について買収のあった昭和一五年当時既に鉄道用地であったものであり、一連の鉄道用地との相互位置関係からみても本件四の土地は買収された一団の土地に属すると認められる。

(3)  以上の事実にあわせ三2で検討してきた池子弾薬庫用地の買収の態様といきさつ等に照らすと、本件四の土地は、前記周辺の各土地と一括して昭和一五年七月二日に海軍省が一郎から売買によって取得したものであると認められる。

(三) 本件五の土地について

(1) 本件五の土地(字仲川一六四二番三)が、公図上、その東側にある道路に沿って存在する、登記簿上の面積二九平方メートルの狭隘な土地であることは当事者間に争いがない。

〈書証番号略〉によれば、右道路は、昭和一三年ころまでは地番のない、いわゆる青地(国有地)と昭和二年に開設された町道であり、右町道は、字八坂一一六五番三、同一一六九番三、同一一七六番二、同一一九三番三等の土地であったこと、右道路は池子弾薬庫の南方外部から弾薬庫内部に入るための進入道路として使用されるべき位置関係にあることが認められ、右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

(2) 〈書証番号略〉によれば、一郎が相続取得した大正一三年一二月六日当時、字仲川一六四二番一、二及び四の各土地と本件五の土地は一筆の土地であった。昭和五年三月二二日、右一筆の土地は同番一ないし三の土地に分筆され、昭和一四年に同番二の土地がさらに同番二と四の土地に分筆された。海軍省は、右各土地について、昭和一三年四月九日に成立した売買契約に基づく権利保全のため、昭和一四年二月二二日付けでその表示登記を代位登記した。本件五の土地の閉鎖登記簿の甲区一番には、一郎のために大正一三年一二月六日遺産相続を原因とする大正一四年一一月二八日受付にかかる所有権取得登記を、昭和一四年二月二二日受付第七二九号をもって、表題部作成に伴い再び登記した趣旨の記載があるところ、右閉鎖登記簿の表題部をみると、昭和一四年二月二二日受付にかかる、昭和一三年四月九日買収契約に基づく権利保全のため債権者(買主)の海軍省より代位登記の嘱託に基づいて表示登記がされている。しかし、同土地については海軍省のために買入を原因とする所有権取得登記はない。一方、本件五の土地と元番を同じくし、公図上本件五の土地の西側でこれに接する、前記字仲川一六四二番四の閉鎖登記簿(〈書証番号略〉)の甲区一番には、一郎のために大正一三年一二月六日遺産相続を原因とする大正一四年一一月二八日受付にかかる所有権取得登記の、昭和一四年二月二二日受付第七三一号による再登記の記載があるところ、右閉鎖登記簿の表題部をみると、昭和一四年二月二二日受付にかかる、昭和一三年四月九日買収契約に基づく権利保全のため債権者(買主)の海軍省より代位登記の嘱託に基づいて表示登記がされている。そして、字仲川一六四二番四の土地については、同日受付第七三二号をもって、海軍省のため昭和一三年四月九日買入を原因とする所有権取得登記がされ、これが現在の登記簿に受け継がれている。また、海軍省の代位による嘱託登記は字仲川一六四二番一ないし四の土地すべてについてある。以上の事実が認められる。

以上認定の事実によれば、本件五の土地については、登記簿上、海軍省のために買入による所有権取得の登記はないが、閉鎖登記簿の表題部の前記の内容、登記受付番号の記載にかんがみると、海軍省が字仲川一六四二番四の土地と同時期に同じような昭和一三年四月九日の買収契約に基づく権利保全のための表示登記の嘱託をしていることからして、本件五の土地の所有権は字仲川一六四二番四の土地と同日に一郎から海軍省に買収(売買契約)によって移転したことが強く推認される。

(3) 次に、本件五の土地と周辺地との位置関係及び周辺地の買収について検討する。

イ 〈書証番号略〉によれば、本件五の土地周辺の土地(別紙図面四参照)のうち、右道路の西側(右道路からみて本件五の土地の側)に位置する土地である字仲川一六四一番二、同一六四二番四の土地については、いずれも昭和一三年四月九日に、それぞれ右各土地の前所有者と海軍省との間で売買契約が成立していることが認められ、他に右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

ロ 〈書証番号略〉、弁論の全趣旨によれば、海軍省は、昭和一三年四月九日、公図上前記道路に接する字仲川一六三六番二、同一六三五番二、字八坂一一六五番四、同一一六六番四、同一一六八番四、同一一六九番四、同一一七六番一、同一一七七番、同一一八五番一、同番二、同一一八四番二及び同一一九三番二等の一連の土地を前所有者から取得し、同年度ころ、公図上前記道路の北側(池子弾薬庫の奥部ないし内部側)にある字竹之後一五二一番の土地等同字の土地一〇数筆を買い入れて所有権を取得し、また昭和一四年度に、同様の位置にある字八坂一一九六番一の土地等字八坂の土地や字敷沢一二五一番一の土地など字敷沢の土地合計一〇数筆を買い入れて所有権を取得したこと、昭和一五年四月一五日、海軍省は、右道路東側に位置する字石之下一一四九番一、右道路西側奥に位置する字仲川一六四一番一、同一六四二番一、同番二の土地を前所有者から買い入れたこと、同一五年度、海軍省は、公図上右各土地の周辺の土地など前記道路及び右昭和一三年に海軍省に所有権が移転した土地の両側に接する土地のほとんどを取得していることが認められ、他に右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

(4) 〈書証番号略〉によれば、字仲川一六四二番四の土地については、右分筆登記と同日付けで昭和一三年四月九日の売買(「買入」)を原因とする一郎から海軍省への所有権移転登記が経由され、同番一及び二の各土地については、昭和一五年七月五日付けで同年四月一五日の売買を原因とする一郎から海軍省への所有権移転登記が経由されていること、前記字仲川一六四二番一ないし四の各土地の分筆のうち、同番二の土地からの同番四の土地の分筆は、昭和一三年四月九日に一郎と海軍省との売買契約が成立したことによるものであって、これと同様、前記字仲川一六四二番一と同番二の土地分筆(〈書証番号略〉により、右分筆は昭和一三年八月一九日にされたと認める。)も、右各土地の前所有者であった山下臓之助と海軍省との間に昭和一三年四月九日に売買契約が成立したことによるものであることが認められ、他に右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

(5) ところで、右(1)、(2)及び(4)で認定した本件五の土地とその周辺の土地の位置関係及びこれらの土地の被告への買収時期からは、海軍省が、昭和一三年ころまでに、前記道路(国有地及び町道)西側に、同道路に沿って存在する土地の一部を必要とし、これを取得するため、同部分を含む字仲川一六四一番と同一六四二番二の土地を必要な部分とそれ以外に分筆し、道路側の同一六四一番二と同一六四二番四等の土地をまず昭和一三年四月九日に前所有者から買い受け(被告のいう「第一次買受け」)、その後付近の土地全部について買収することとして、右道路の周辺の土地について昭和一五年四月一五日に前所有者から買い受け(被告のいう「第二次買受け」)たことが認められる。そして、右土地が必要となった理由について、右認定事実に加え、〈書証番号略〉によれば、右第一次買受けの対象となった土地と第二次買受けの対象となった土地とを区分する分割線(字仲川一六四一番一と同番二の地の境界線及び同一六四二番二と同番四の境界線を含む。)は、前記道路の幅の約二倍の間隔を保って右道路と並行に走る線上に存在していることが認められ、右事実からは、被告主張のように、第一次買受けが右道路の拡幅のための用地取得であったこと、右道路用地取得の後、道路の奥にある字竹之後や字敷沢などの土地を一団として取得し、さらにその後拡幅された道路沿いの土地に施設を建設するべくこれらの土地を取得したことが認められ、他に右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

(6)  右のように、本件五の土地が、東側を前記道路に、西側を字仲川一六四二番四の土地に(挟まれて)接する狭隘な土地であって、右第一次買受けが道路の西側(本件五の土地の側)についてされ、しかも右字仲川一六四二番四の土地もその対象となっていたこと、それに前記三2で検討してきた池子弾薬庫用地の買収の態様といきさつ等に加え、前記(2)で検討したように、本件五の土地についても、海軍省の嘱託による代位登記(表示登記)がなされていることからすれば、本件五の土地は字仲川一六四二番四の土地と同時に第一次買受けの対象となったこと、すなわち本件五の土地も、字仲川一六四二番四の土地等と一括し、昭和一三年四月九日に一郎と海軍省との間に売買契約が成立し、海軍省がその所有権を取得したものと認められ、現在その登記簿に右売買の記載がないことをもって右認定を覆すことはできず、他に右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

(四) 本件六ないし同八の各土地について

(1) 〈書証番号略〉によれば、本件八の土地の共有持分のうち、三縄由蔵、石渡好文及び石黒保五郎の有していた持分(各持分一四分の一、合計一四分の三)については、昭和一七年四月一日に右各持分権者と海軍省との間に売買契約が成立し、これに基づいて、昭和四〇年になって大蔵省への所有権移転登記が経由された。なお、〈書証番号略〉、弁論の全趣旨によれば、本件六ないし八の各土地は、従前いずれも一〇数名の共有であり、昭和一七年四月当時の右各共有者は数名を除き共通であったが、塚越七郎、富野辰藏、富野熊藏、林政吉(本件六ないし八の土地についての原告ら前者)も右三筆共通の共有者であったことが認められる。

(2) 次に、〈書証番号略〉、弁論の全趣旨によれば、被告の内部において、昭和二四年一月一七日ころ、本件八の土地につき同土地の共有者中石渡好文以下一二名(石渡好文のほか、七郎や原告林、三縄由蔵もこの中に含まれる。)ないしその代理人と本件六の土地につき富野林蔵外一六名(政吉、石渡好文、三縄由蔵もこの中に含まれている。)ないしその代理人の、以上全員を総代表する熊藏に対し右各土地の買収代金を支払うべきであると稟議があり、これについては支払決議がなされその旨の支払がなされた(〈書証番号略〉の「送金」印参照)ことが認められる。右事実からは、少なくとも本件六の土地の共有者(一九名)中一七名と、本件八の土地の共有者(一四名)中一二名については、それ以前に旧地主と被告との間で売買が成立していたことが認められる。なお、このうち、本件八の土地については、石黒熊太郎に対して売買代金が支払われているところ、同人は右土地について持分権を有していなかったものであったから、同人は、当時の権利者であり、その姓からみて何らかの親族関係があったと推認される同土地の共有名義人石黒保五郎を代理して代金を受領したと認定される。右認定事実に照らせば、本件六及び八の各土地については、当時の登記名義人と売買代金の支払者(受領者)との対応関係について、別表(四)(1)及び(2)記載のとおり、ほとんどの共有者ないしその代理人との間の売買契約の締結及びその代金の支払がされたことが認められる。原告富野良雄は、熊藏は被告から金銭を受け取っていないと述べたことを熊藏から聞いた旨の供述をするが、右は前記認定に照らし未だ採用できず、他に右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

現に、〈書証番号略〉によれば、海軍省は、昭和一六年一二月二五日と昭和一七年二月二日に、逗子町を通じて池子弾薬庫用地の買収のため当時の地主を集めているが、その時には熊藏もその対象とされていたことが認められる。

(3) ところで、本件六ないし同八の各土地(字笹ヶ谷一七九一番、同一七八二番、同一七九〇番)に、直接あるいは道路ないし水路を介して接するその周辺の土地の被告による取得の経過をみると、〈書証番号略〉、弁論の全趣旨によれば、右各土地のうち、字笹ヶ谷一七八四番一の土地については昭和一五年四月一日、同一七五〇番、同一七七一番一三及び一四、同一七八〇番、同一七八三番、同一七八四番二及び四の各土地については同年一〇月一日、同一七八四番三の土地については昭和一六年四月一日、同一七八六番、同一七八七番、同一七八八番イ、同一七八九番、同一七九二番、同一七九三番、同一七九四番、同一七九五番の土地についてはいずれも同年八月二五日に、それぞれ、右各土地の前所有者と海軍省との間で売買契約が成立していること、右各土地について昭和一六年一月から同一七年八月にかけて海軍省に所有権移転登記が経由されていること、また字笹ヶ谷一七八一番の土地については昭和一七年八月二七日に海軍省名義の所有権保存登記がされていること、本件六ないし八の各土地の周辺土地のうち右に挙げた土地以外の土地についても、別紙図面二記載のとおり、昭和一五年度または一六年度に買収されていることが認められる(なお、公図上、本件六及び八の土地の南側にある、字笹ヶ谷「一八八〇番」との表示は、「一八〇〇番」の誤記と解する。)。

(4) そして、〈書証番号略〉によれば、本件六ないし八の各土地は、池子弾薬庫の敷地内部奥深くに位置し、それだけでは有効利用は不可能な土地であると認められるうえ、本件八の土地については共有者三名は登記簿の記載から、また本件六の土地について共有者中一七名、本件八の土地について共有者中一二名について前記の理由で被告との売買契約の存在が認定される以上、残余の共有者のみが右各土地を茅場として利用していたこと、ないし利用しようと考えていたこと等は到底考えられない。そして、(3)で認定した本件六ないし八の各土地の周辺土地との位置関係や各土地の移転の経緯に加え、三2で検討してきた池子弾薬庫用地の買収の態様といきさつ等に照らすと、右各旧地主から被告が本件六ないし八の各土地を買収する理由も、池子弾薬庫内の施設建設に関しての土地取得であったのであるから、右一部の旧地主との間のみで売買契約が成立したものとみるべき合理的な事情を見出すことはできない。

そうすると、本件六ないし八の各土地については、本件八の土地とその共有者のほとんどが一致するところからすると、同時期にその各全共有者と海軍省との間に、その共有持分権の売買契約が成立し、海軍省が各土地のすべての共有持分権を取得したものと推認される。また、その売買契約日は、本件八の土地の共有者のうち前記三縄以下三名について昭和一七年四月一日に海軍省との間で売買契約が成立していること、〈書証番号略〉の海軍省が熊藏に支払うべき金銭を昭和一七年四月一日に領収している旨の記載があること等に照らして、昭和一七年四月一日ころであると認められる。

この点に関し、原告富野良雄は、本件六ないし八の各土地は茅場として地元の住民に利用されてきた土地であって買収の対象とはなっていない旨、また、同原告の父である辰藏から右茅場(本件六ないし八の各土地)が海軍省に買収されたり、買収代金を受領したという話は聞いていない旨供述する。しかし、同原告は、〈書証番号略〉と体裁を同じくするような書面が自宅に届いたことを述べるなどその供述内容を仔細に検討するとき同原告の右供述だけでは右認定事実を左右することはできない。その他前記認定に反する同原告の他の供述部分及び原告君島フミの供述は前記認定に照らしいずれも採用できず、他に右各認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

4  原告らの反論についての判断

(一) 旧地主から被告への池子弾薬庫用地の売買の成立について

(1) 原告らは、池子弾薬庫敷地内の各土地の旧地主から被告への売買契約は、要式行為で売渡書で作成によって成立すると主張するので検討する。

(2) 前記三2で認定した事実によれば、海軍省横須賀海軍施設部による前記買収手続は、池子弾薬庫の諸施設を順次建設するについて、その用地を取得するため一度に大量の土地を買収する手段として採用されたものであることが認められる。しかし、売渡書の作成によって初めて契約が成立する旨を明示する規定はない。右手続の中で土地売渡書等の書類を作成することとする旨の規定は、契約及びそれに伴う支出原因の明確化及び契約方式の画一化による手続の迅速一括化に資するため、契約担当官に契約書類の作成を命じた規定であると認められ、これによって売買の成立について要式行為とせず意思表示の合致によるとした民法の原則が左右され、その成立が売渡書によると解すべきものではない。登記原因としては買収、買上、売買などの語が用いられているものの、右買収等の法律上の性質は、あくまで民法上の売買に他ならず、売主の財産権(土地所有権)移転と買主の代金支払に関する双方の意思表示の一致をもって成立する。本件各土地についても、海軍省と(旧)地主との間の売買契約は、横須賀海軍施設部の申込に対し(旧)地主が承諾した時に成立するものと認められる。確かに、売渡書は売買の事実を直接証明する重要なものであることは疑いないが、売買契約が成立したかどうかの認定は、これを証明すべき直接の証拠がなくても、前記3で検討してきたように、看過することのできない幾多の重要な事実が認められ、これを否定すべき合理的理由もない以上、これによって売買の存在を積極的に認定することはなんら妨げられない。原告らの主張は採用できない。

(3) さらに、〈書証番号略〉によれば、池子弾薬庫の用地買収に関する書類については、海軍大臣に報告済みのものについては焼却されたこと、右書類を管理する横須賀海軍施設部の建物は、戦後駐留軍が使用し、その後被告が建物の返還を受けて担当官らが戻ったところ、建物内部の部屋中にいろいろな書類が散乱していたこと、戦中、戦後における混乱によりその当時は右書類の管理が十分ではなかったことが認められる。右認定事実にかんがみると、本件各土地の買収に関する書類が焼却され、あるいは紛失、散逸したことも十分考えられるところであり、戦後約四〇年を経てから提起された本件訴訟において、これらの証拠書類が乏しく契約の具体的内容を詳細に至るまで認定できないからといって、それだけから前記3での認定を左右することはできない。

(4) 原告らは、前記用地買収手続につき、海軍省による市区町村に参集方の依頼と参集の日までが近接していることから、本件各土地について売買がなかったことが推認できると主張する。

しかし、〈書証番号略〉により認められる、海軍省が近隣に居住する地主の参集方を市区町村に依頼してから参集日までの間が短期間であった例、参集手続について、地主の代理人ないし代表者との間で買収手続が進められた例(前記三2(一)(2)ロ参照)、池子弾薬庫の建設は昭和一三年ころから順次進められ、昭和一七、一八年ころは、本件地域内に土地を所有する地主らは、海軍省による買収の件を直接、間接に熟知していたと認められること(前記三(一)(二)参照)、「参集依頼文書」(〈書証番号略〉)に「完結」との印があることの各事実にかんがみると、原告らの右主張は採用できない。

(5) なお、原告らを含めた関係住民が本件各土地を含む買収対象地について海軍省ないし横須賀海軍建築部が有刺鉄線で囲み立ち入り禁止としたことについて異議を述べたことがなかったことは先に判示したとおりであるが、原告らは、この点に関し、逗子市市議会が「駐留軍接収地一部返還要請決議」を行っていることなどをもって、被告の占有取得に対する原告らの用地返還要求であるかのような主張をするけれども、しかし、〈書証番号略〉により認められる逗子市市議会の昭和二九年九月一日以降の原告らの主張のような決議は逗子市らが原告ら私人を代理ないし代表して本件各土地等の返還請求をしたものではないから、原告らが被告に対し異議を述べたとはいえない。

(二) 所有権移転登記手続の不存在(遅延)の反論について

原告らは、被告が本件各土地の所有権移転登記手続をしていない事実をもって売買契約の不存在を推認することができる旨主張する。

しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、旧軍が、全国において、民法の規定に従い土地所有権を取得しながら、その膨大な件数や戦中戦後の未曾有の混乱、海軍省の解体、大蔵省への事務引継ぎなど種々の理由により、所有権移転登記手続をしていない不動産(以下「旧軍未登記財産」ともいう。)が多数あり、現在に至るも未登記の国有財産は数多くある。被告がかかる財産について順次被告への移転登記や国有地たる旨の登記をすべく継続的に事務努力をしているが右事態は未だ解消されるには至っていないことがそれぞれ認められる。

以上によれば、右登記未了の理由はこの事態が解消されていない理由として合理性があるものと認められるから、原告らの主張は採用できない。

(三) 賃借地の存在及び見舞金処理のされた土地の存在の反論について

原告らは、本件地域内には(旧)地主から被告が賃借している土地があり、また被告が戦後相当の期間が経過してから土地所有名義人に対して多額の「見舞金」を支払ってその承諾を得たうえ真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記を経由した土地があり、この事実に照らすと被告主張の一括買収の事実には矛盾がある旨主張する。

(1) 賃借地について

池子弾薬庫地域の中に、被告が登記簿上の所有名義人との間で賃貸借契約を締結している土地があることは被告においても認める事実である。

しかし、前記のとおり、被告は、このような土地についても戦中から(原告らの主張を前提としても終戦まで)占有していた。そして、〈書証番号略〉によれば、被告が、これらの土地について、他の周辺土地と同様に海軍省が池子弾薬庫用地として買い入れ占有を開始したものとして、戦後もひきつづき国有地として占有管理してきたこと、登記簿上の名義人も賃貸借契約に至るまで、終戦後約一〇年間ないしそれ以上の期間、自らの占有喪失ないし被告(駐留軍、在日米軍を含む)による本件地域の占有の事実を熟知していながら、被告に対し何ら異議を述べたり使用料を請求しなかった。昭和三〇ないし三一年ころ、これらの土地の各登記名義人から、被告に対し、池子地区選出の市議会議員から本件地域内に登記名義人の土地があると告げられたことなどを理由として、これらの土地につき賃貸借契約を締結して欲しい旨の申出があった。これに対し被告が、各登記名義人ないしその前者から被告への売買がなされていることを右各登記名義人に納得させる資料が現存するか否かを内部で調査したが発見できなかった。そこで、被告が、当時これらの土地を米軍へ提供していたため、これらの土地の米軍への提供の円滑な継続のためには、右各登記名義人と争わず、その申出に従い改めて賃貸借契約を締結することが良策であると判断して右申出に応じることにしたことがそれぞれ認められる。

右認定事実によれば、これらの土地については、被告から登記簿上の所有名義人の所有権を認めて賃貸借契約を締結したものではなく、被告が登記簿上の所有名義人からの賃貸借契約の締結申出に応じたのは、被告の政策的判断からであったと認められる。

そうすると、池子弾薬庫地域に登記簿上の所有名義人と被告との間で賃貸借契約が締結された土地があることをもっては本件各土地について売買契約が締結されたことの前記認定に影響を及ぼすものではない。したがって、原告らのこの点の主張は失当である。

(2) 見舞金処理のされた土地について

〈書証番号略〉、原告富野良雄及び同君島フミの各本人尋問の結果(ただし後記採用しない部分を除く。)、証人木内常喜の証言、〈書証番号略〉によれば、以下の各事実が認められる。

イ 被告の施設の中にある旧軍未登記財産(土地)の処理については、大蔵省が、終戦後から昭和四三年三月までの間管理所掌し、旧地主との間で、右財産が戦前・戦中に旧地主ないしその前者から売買によって所有権を取得したことの了解を求めるべく折衝してきた。しかし、その交渉の過程において、海軍省が買収してから既に相当年数を経ている未登記財産につき、何らかの金銭的出捐をしないで無条件に登記承諾書に押印を求めるより、相応の金銭を支給することで旧地主の協力を得やすくし、名義の移転(書換)という被告の事務の促進を図ろうとした。

ロ 登記原因については、右金銭の名目について被告の事務上「見舞金」の支給という行政上の処理をした関係もあり、国の所有権取得が登記簿など公簿に正しく反映されていないという点から、旧地主の了解の得られた土地については、登記原因を「真正なる登記名義の回復」として処理した。

ハ その後防衛施設庁が、旧軍未登記財産に処理について、昭和四三年四月から「提供国有財産の事務処理に関する覚書について」(昭和四三年三月二日、蔵国有第一九八号)により大蔵省から事務の引継ぎを受け、同様の方針で処理にあたった。

右各認定事実に照らせば、これら見舞金の支払も、前記賃貸借契約の締結された土地についてと同じく、被告の政策的判断によるものと認められる。したがって、原告らのこの点の主張も採用できない。

(四) 承諾に関する反論について(本件一ないし三の土地について)

原告らは、一括して買収手続が開始されたとしても、各地主が参集に応じたか、承諾したか(売渡書を提出したか)については、同一所有者であっても全ての所有地の買収に応じるかどうかが分からない以上、個別の問題であって、買収の有無は各土地ごとに個別的に判断されねばならないと主張する。原告らは、特に、字笹ヶ谷一六九九番一の土地と同番二の土地は長島竹次郎の所有であったが、それぞれ昭和一八年一二月一四日と昭和三九年一二月二二日という別の日に売買がされている。右両土地とも、昭和三八年と三九年のほぼ同時期に所有権移転登記手続をしながら、同番二の土地は昭和一八年買収を、同番一の土地は昭和三九年買入をそれぞれ原因としている。これは、所有者である長島竹次郎が同番二の土地については昭和一八年の買収を認めたが、同番一の土地についてはこれを認めず、被告も同人の主張を認めていた旨を主張する。

まず、長島竹次郎が所有していた字笹ヶ谷一六九九番二の土地と同番一の土地の登記原因たる買収の登記簿上の日付が原告ら主張のように違うことは当事者間に争いがない。しかし、弁論の全趣旨によれば、同番二の土地は三七六八平方メートルのかなり広い土地であるのに対し、同番一の土地は六六平方メートルという狭隘な土地であって、〈書証番号略〉から認められるその位置関係(別紙図面二参照)からみると、周囲の土地が池子弾薬庫用地として被告に移転しながら、なお右字笹ヶ谷一六九九番一の土地を独立して使用することは不合理であって、前記のような、被告の池子弾薬庫用地としての本件地域の買収の理由及び過程をみるとき、同番二の土地について被告の買収に応じる際、長島竹次郎が、特段の事情も認められないのに、同番一の土地についてのみ所有権を留保したとは考えられない。そして、前記のような旧軍未登記財産が多数存在している事実、戦中に社会問題化した代金支払の遅延、その他の諸事情にかんがみると、登記簿上の買収日付けの相違から、直ちに、長島竹次郎が同番二の土地については昭和一八年の買収を認めたが同番一の土地についてはこれを認めなかったと推認できず、同番二の土地は昭和一八年に買収があったが、同番一の土地はこれがなかったと推認することもできない。そして、前述のとおり、被告が戦後になってから登記簿上の所有名義を取得した事例はいくつかあり、その理由は問題の円満解決を図るという被告の政策的判断にあった(前記三4(三)参照)と認められる。したがって、原告らのこの点の主張も有効な反論とはいえない。

(五) したがって、原告らの反論はすべて失当である。

5  以上の次第で、本件各土地については、売買により所有権を取得したとする被告の抗弁は正当として是認すべきものである。

四原告らの本訴請求は、被告の時効取得の主張について検討するまでもなく失当である。

第二反訴請求について

一被告の反訴請求は、本件各土地について本訴請求に関する売買の抗弁に基づきその所有権を取得したことを原因として所有権移転登記手続を求めるものである。被告の右売買による本件各土地に対する所有権取得が正当として認められることはすでに本訴請求において判断したとおりである。

二そして、本件各土地の当時の所有者は以下のとおりいずれも死亡し、それぞれの関係原告らがその地位を承継していること、本件各土地について被告主張のとおり原告ら所有名義の各登記がなされていることは、いずれも当事者間に争いがない。

1  勇治が昭和一九年二月二七日死亡し、君島米雄(以下「米雄」という。)が勇治を家督相続し、米雄が昭和五八年一一月三日死亡し、原告フミが本件一の土地に関する米雄の権利義務を承継したことは原告フミと被告との間に争いがない。

2  本件二及び三の土地につき、原告君島治行名義の所有権移転登記手続が経由されていることは同原告と被告との間に争いがない。

3  一郎が昭和四八年一〇月七日死亡し、原告石黒邦夫「以下「原告石黒」という。)が本件四及び五の各土地について一郎の権利義務を承継したことは原告石黒と被告との間に争いがない。

4  七郎が昭和五〇年五月四日死亡し、原告塚越マス(以下「原告塚越」という。)が本件六ないし八の各土地に関する七郎の権利義務の三分の一を相続によって承継したことは原告塚越と被告との間に争いがない。

5  辰藏が昭和二五年一二月三〇日死亡し、原告良雄が本件六ないし八の各土地に関する辰藏の権利義務の三分の二を相続により承継したことは原告良雄と被告との間に争いがない。

6  熊藏が昭和四四年六月二〇日死亡し、また熊藏の妻富野フサ(以下「フサ」という。)が昭和五〇年五月二五日死亡し、原告春生及び原告井上原告富野春生(以下「原告春生」という。)及び同井上すヾ子(以下「原告井上」という。)がいずれも本件六ないし八の各土地に関する熊藏の権利義務の一〇分の一及びフサの権利義務の五分の一(合計すると熊藏がもと有した本件六ないし八の各土地に関する権利義務の五分の一)をそれぞれ相続により承継したことは原告春生及び同井上と被告との間に争いがない。

7  政吉が昭和一八年二月一三日死亡し、原告林伊男(以下「原告林」という。)が政吉を家督相続し、本件六ないし八の各土地に関する政吉の権利義務を相続により承継したことは原告林と被告との間に争いがない。

三なお、原告らは、本件各土地の売買契約に関して、右契約が戦中における軍の威力を背景とした海軍省の行為であったことなどを理由として、被告が原告らに対し所有権移転登記手続を求めることは権利の濫用であるとするかのごとき主張をするけれども、これまで検討してきた諸事実及び本件証拠上認められるその余の事実に照らし、原告らの右主張は採用できない。

四以上によれば、被告の反訴請求は正当である。

第三総括

以上これを要するに、本件各土地が原告らの各所有であることを前提としてその旨それぞれの土地につき所有権確認とその明渡、資料相当の損害金の支払を求める原告らの被告に対する本訴請求は失当として棄却すべきものである。これに対し、原告らに対し、本件各土地が売買により被告の所有に帰したことを前提として所有権に基づきそれぞれ原告に対し、所有権移転登記手続を求める被告の反訴請求は予備的請求について検討するまでもなく正当として認容すべきものである。

よって、右趣旨に基づき、かつ本訴及び反訴の各訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、それぞれ主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官神田正夫 裁判官稲田龍樹 裁判官橋本一)

別紙

第一目録

番号

物件

原告(反訴被告)

損害金(月額)

所在 逗子市池子字笹ヶ谷

地番 一七〇五番

地目 畑

地積 五四八平方メートル

(別紙図面一記載の①の土地)

君島フミ

三一万七三八三円

所在 逗子市池子字笹ヶ谷

地番 一七一三番

地目 宅地

地積 247.93平方メートル

(別紙図面一記載の②の土地)

君島治行

一四万三五九二円

所在 逗子市池子字笹ヶ谷

地番 一七一五番

地目 山林

地積 二三八平方メートル

(別紙図面一記載の③の土地)

君島治行

一三万七八四一円

所在 逗子市池子字舞台

地番 一〇六七番一

地目 田

地積 二一八平方メートル

(別紙図面一記載の④の土地)

石黒邦夫

一二万六二五八円

所在 逗子市池子字仲川

地番 一六四二番三

地目 畑

地積 二九平方メートル

(別紙図面一記載の⑤の土地)

石黒邦夫

一万六七九五円

別紙

第二目録

番号

物件

原告(反訴被告)

持分

損害金(月額)

所在 逗子市池子字笹ヶ谷

地番 一七九一番

地目 山林

地積 四〇九九平方メートル

(別紙図面一記載の⑥の土地)

塚越マス

五七分の一

四万一六四九円

冨野良雄

五七分の二

八万三二九八円

冨野春生

九五分の一

二万四九八九円

井上すゞ子

九五分の一

二万四九八九円

林伊男

一九分の一

一二万四九四七円

所在 逗子市池子字笹ヶ谷

地番 一七八二番

地目 山林

地積 二二四平方メートル

(別紙図面一記載の⑦の土地)

塚越マス

四二分の一

三〇八八円

冨野良雄

二一分の一

四八〇四円

冨野春生

七〇分の一

一八五三円

井上すゞ子

七〇分の一

一八五三円

林伊男

一四分の一

九二六六円

所在 逗子市池子字笹ヶ谷

地番 一七九〇番

地目 山林

地積 一九八平方メートル

(別紙図面一記載の⑧の土地)

塚越マス

四二分の一

二七一六円

冨野良雄

二一分の一

四二二五円

冨野春生

七〇分の一

一六二九円

井上すゞ子

七〇分の一

一六二九円

林伊男

一四分の一

八一四九円

別紙図面一ないし五〈省略〉

別表1ないし4〈省略〉

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